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はじめての就職に生命保険営業を選んだ理由


#この仕事を選んだわけ

 実はこのお題が開示されてから、投稿したいけどするべきかずっと迷っていました。
 というのも私は現在、無職だからです。果たしてこのお題で書いてしまっていいものなのか…
 ひとしきり考えた末、ひとまず自分の過去を整理するためにも書いてみようと思いキーボードに向かいます。

 私はこれまで保険営業、介護士という2種類の仕事に携わってきました。
それぞれにやりたいと感じたきっかけや転機があったのですが、中でも特に自分の人生を大きく変えたと思われるのは最初の就職、保険の営業に従事した時でした。
 今回はその仕事を選んだ経緯と、その就職から得られた発見とを綴っていきたいと思います。


ミュージシャン志望の学生時代

 元々私は音楽が大好きで、20代前半までエレクトーンの演奏家を志していました。音大・音楽専門学校ではなく普通大学へ進学したのは親の意向に従っただけ。大学在学中もあわよくばコンテストで入賞&プロデビューを果たそうと画策し、勉強そっちのけでひたすら練習しミュージシャンになるチャンスを伺う毎日でした。

 そうして迎えた大学4年次、学生生活最後のコンテストに賭けます。結局、悲願の全国大会出場は果たせずに終わりました。
 もう、音楽の道は諦めるしかないだろうか? …いや、不本意だけどいったん企業に就職して、コンテストに出場しながらチャンスを狙おう。そう気持ちを切り替えます。

 さて、そうは言っても…そもそも私はどんな仕事に就いたらいいんだろう?そんなこと、当時の私にわかる筈もありません。なぜならミュージシャン以外の道はイメージすらしたことなかったのですから。
 自分に向いている職業が知りたくて当時の職安(まだハローワークという呼称はなかった)の適性検査を受けましたが、結果は「芸術家」「作家」と出るばかり。正直何の解決にもなっていません(笑)


営業を選んだ理由

 そんな折、同じ音楽教室の友達に、ショップの店頭でデモンストレーション演奏しないかと声が掛かったことを知ってしまいます。私の方には、一度だってそんなオファーはなかったのに…少なくとも私は彼女と実力は対等だと思っていただけに、ショックでした。

 デモ演奏が決まった彼女は、いつも明るく社交的で教室のアイドル的存在でした。それに引き換え私は…人見知りは激しいし自分をアピールするのが苦手。言うなれば日かげの存在。

 こんなに内気な性格では、これからの人生でもチャンスを逃し続けてしまう。
 どのみち就職しなくちゃいけないのなら、いっそシャイな自分を変える仕事に就いてやろう。

 そう思い立った私は、営業専門職の募集がある生命保険会社への応募を決意します。驚いたのは両親。大学を出たら安定した会社・仕事に就職してほしいと願っていたものだからこれには猛反対でした。それに対して私は「言われたとおり(ミュージシャンでなく)会社に就職するのに何が悪いの?」と逆切れモードで言い放ったことを覚えています。若かったんだなぁ(笑)

 当時はまだギリギリ売り手市場と呼ばれた時代。ありがたいことに、人の目を見て話すことすら出来ない私に営業で内定を下さる奇特な会社がありました。


蓋を開けてみたら…

 そんなこんなで営業職に就業はしたものの…職業生活のスタートはやはり波乱の連続でした。
 担当企業に上司と行った初めてのあいさつ回りでは、カンペこそ見なかったものの覚えたセリフを宙に向かって話し、そこにいた人たち皆を凝固させてしまったのです。その時の空気といったら、本当に吸っているタバコを落とした人がいたくらい(笑) 
 当然この日のことは何年も語り草になっていました。

 ようやく会話に慣れて来た頃には、次なる試練が降りかかります。
 商売の駆け引きなどにはまだまだ初心な私。商品説明からクロージングまでさんざん精力を傾けた挙句に
 「ありがとう。わかった君のいう事は正しい。だから〇生さん(他社)に入ることにしたよ」
なんていうオチが待っていて、泣いて帰社したことがありました。
 また顧客と話を詰めていることを他社に知られて、私が帰った後に契約をそっくり攫われた、なんてことも一度や二度ではありません。
 生き馬の目を抜くってこういう事を言うんだな…もともと音楽オタクでおっとりした私には到底太刀打ちできない、因果な世界に入ってしまったものだなぁと慄いたものです。

 けれどもそうした中で、ついに私の仕事ぶりを買ってくれる人が現れます。それは今でも忘れられない印象的な出来事でした。

 その方は一見気難しそうなのでどちらかというと敬遠されており、私もちょっと距離を置いていました。あるとき私の書いた商品紹介チラシをじっとご覧になっていたので思い切って声をおかけします。そうしたら邪険にされるどころか私の説明に耳を傾けて下さいました。そして何度も何度も訪問を重ね、ついに契約を頂くことが出来たのです。
 その方は頭脳明晰で、押しが強かったり拝み倒しを得意とするセールスパーソンを寄せ付けないタイプでした。とにかく納得がいくまでとことん質問されます。後からふり返れば、私は時間を惜しまず次から次へと出て来る質問に誠心誠意お答えしていった事で、信頼関係を築くことが出来たのだと思います。

 この出来事を起点として私は、相手の疑問にどこまでも付き合い解決するというスタイルを自分の得意パターンとして確立していきました。自分の武器は誠実さだと気が付いたのです。

 私の営業スタイルは、たしかに億を稼ぐカリスマセールスとは程遠いものだったかもしれません。確かに勢いでクロージングを掛けたり情に訴えることは苦手です。それでも自分の持ち味で顧客に求められ信用されるようになると解った事は、その後の仕事や人生への大きな自信になっています。

 それから私の営業成績は伸び始め、入社3年目に全社の表彰基準まであと一歩という所まで行きました。その後結婚・出産によるペースダウンと会社の経営不安とで数字は頭打ちに。それでも元対人恐怖症の自分としては上出来でした。

 その後会社の経営の問題から次のキャリアである介護の仕事に移ることになりましたが、その選択ができたのも営業の経験があったからだと思います。営業で学んだコミュニケーション能力特に傾聴する姿勢は、利用者様に心を開いて頂くために無くてはならないスキルとマインドでしたから。

自分の可能性と適職を考える

 私の場合、自分の欠点を補うために一見向いていない仕事に就くといういささか強引な進路決定をしたわけですが、そんな就職ができたのも売り手市場だったからと言われてしまえばそれまでです。
 それでも、人の職業適性はぱっと見の向き不向きだけでは判断できない事、可能性は意外な所に眠っているという事は、時代や世相に関係なく言えると思います。
 意外な仕事に就くといってもこれまでの自分と180度変わるという事ではなく、変わらない自分の意外な活かし方を知る事と捉えた方がいいかも知れません。

 

 最後に。なぜ私がこんな恥ずかしい若気の至り的人生選択を、しかも失業中という不甲斐ない立場にありながら記事にしてしまったのか。

 書いていて、やっぱり撤回しようと何度も思いました。けれども、これから就職する人に未知のこと・新しいことに飛び込む勇気を持ってほしいという老婆心を抑えることはできませんでした(笑)

 じつはメッセージの対象には今の自分も含まれているのですけどね。

 人生100年時代。過去にこんなに頑張れた自分がいたのだから、私ももう一度、自信を持って新しいステップを踏み出したいと思います。

 自分が誰かの役に立てるような、持ち味や武器を大切にしながら。

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