モーツーツツ
鏡で自分の顔を見て「我は美人だ」と思うことはまずない。
しかし大学に行けば「今日も美人だね」と言われる始末。通りすがりの男子学生がこちらに気付かれぬように、目を向けていることも多々ある。
ならば「我は美人なのだ」と思うようになる。
とは言え、男子学生から愛の伝達を受けることはない。すると「我は美人だが、好かれない」と自動的に思う。
不甲斐ない気持ちが心を満たすと……(満たす)ではない……(充満する)と述べる方が正確である。ガスが(充満する)と非常によく似ている。不甲斐ない気持ちが心に充満すると「モーツーツツ」と呪文を唱える。
モーツーツツ
5歳のときにはすでに、心の中が痒くなる……つまり不甲斐なさが充満すると「モーツーツツ」と唱えていた。モーツーツツが何かは分からない。国語辞典で調べても載っていない。中学生になり、広辞苑の存在を知り、モーツーツツを調べたものの載っていない。いつしか、モーツーツツの謎を紐解くことが「我の人生の使命?」と思うようになった。しかし、それもほんの数ヶ月。中学2年には使命感は皆無になり、大学3年になった現在、モーツーツツは「我言語」と化している。
モーツーツツと口にはしたことがない。心の中で唱えるだけ。決して、口には出すまい。
しかし、大学の講義中に横にいた男子学生に「さっきから言ってる、もうつうつつ? ってなに」と問われた。
咄嗟に気の利いた返事が思い付くわけもなく困っていると「無視?」と聞かれた。
それに対して我は「どこに?」と言った。つまり、(無視)を(虫)と勘違いしたのである。
すると男子学生はこう言った。
「美人だけど、変な人なの?」
少々、苛立ったので言い返した。
「変な人からしたら、普通の人が、変な人に見えるし、変な人という概念はわからない」
男子学生は少しだけ笑って前を向いた。
心に不甲斐ない塊が充満する。
「……モーツーツツ」
「また言ってる」
「あれ? 声に出てる?」
「出てる」
「ごめんなさい。もう言わない」
素直に謝ることに損はなし。
すると男子学生は言った。
「せっかくの美人なのに」
すぐさま、「我、変人なのだ。しかし我の外見、魅力的なり」と考える。
では男子学生の外見はどうであろうか。
凡人である。強いて言うなれば、切れ長の二重の目が妙に艶っぽい。鼻筋は城下町の如く真っ直ぐである。しかし、城下町なるものは真っ直ぐという概念というよりも碁盤の解釈が正しい。よって、鼻筋が城下町の如くであれば、鼻筋は碁盤のように網目であることになる。
心中の我が解釈がユーモアに溢れ、笑みがこぼれる。
「なに、笑ってるの?」
男子学生の問う真髄は容易にわかる。なんせ、突然ニヤリとしたから。男子学生の外見に戻るが、よくよく考え直すと、いわゆる二枚目である。
「美人と言われたから笑ってるの」
もしかすると、これは艶やかな乙女として、最たる返答ではないだろうか。「脱変人!」と心中で絶叫。
「君のことがもっと知りたい」
痒い。痒い。痒い。無論、痒いのは身体ではなく、心中である。二枚目たるもの、平然とキザ台詞を述べることができるのか。
稲妻が落ちる。
(美人と言われたから笑ってるの)
我のこの台詞こそがキザの最たる返答ではないだろうか。艶やかな乙女の最たる返答は、キザの最たる返答に等しい。これにて方程式完成なり。
二枚目の男子学生……二枚学生と呼ぼう。二枚学生のキザ台詞に心中痒くなると全否定したにも関わらず、我の台詞こそが、我の心中をより痒くする。
忍耐力、これにて崩壊。
「モーツーツツ…モーツーツツ…モーツーツツ!」
小さい声から大きい声への変化。まさにクレッシェンド。徐々に大きく。
「我、退席致す」
講義中にも関わらず、退席し、退室。
二枚学生の目は点。そして、一言。
「美人なのにな」
知らぬ。知らぬ。我関せず。