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記憶と違う記録

前回書いたように。

自分の記憶と、病院のカルテを見せてもらった診療記録に若干の違いがあり、いろいろなことを整理してみたりしました。


記事を書いてるせいか、最近はなの夢を見ます。

けど、あまりいい内容のものじゃなく、けっこうしんどかったりします。

病気真っただ中だったりケガしてたり(涙)。


あまり、ダラダラと昔の話を書くのは良くないのかもしれないなぁ。。。

なので、少しスピードを上げて、年内には記事を書き終えれるようにしてみます。



どう思い出しても「摘出手術をする。」との言葉がなかったのですが、2回目の手術の時のカルテの記録は「腫瘍摘出」としっかり記載がありました。


正直それまで、まったくそんなことを思ってなかったので、ほんとにはなのガンが消えたのは『奇跡』が起こったと信じて疑わなかった飼い主です。死ぬまで知らなかった事実です。

思うに我ながら、天然すぎるなぁって(笑)。


先生は当時、その手術後、

「取れるものは取った。」

とは確かに言われました。

が、事前の説明では「腫瘍を摘出する」という言葉はなく、希望的憶測には一切触れませんでした。

なので、ワタシはそれが、根治治療を目指したとはまったく思っていませんでした。


母も末期の乳がんでした。患部が溶解するのを止めるために手術はしたのですが、その時の医者は「完治の手術じゃないから。」とはっきり言いました。はなの場合もそんな感じなんだろうなぁって。


はながいなくなった後カルテを再度見させてもらった時に、あの時の副院長の言ったことが、ようやく理解することができました。


これは、飼い主の承諾なく、術中に方針を変更したということになります。


普通の病院じゃあ考えられないですよねぇ。


けど、結果治ったから言うわけではなく、ワタシはあの時はそれで良かったと思っています。

もし仮に「治るかもしれない。」などと言われて手術を受けさせてたらどんな心境だったのか。

当然過剰な期待をして、手術が終わるのを待っていただろうと想像します。

そしてその後の3カ月も、治ってるだろうか、大丈夫だろうか、もしダメだったらどうしよう。。。そんな考えに囚われて、せっかく再び寄り添えるようになったはなに、ちゃんと思いを込められなかったかもしれないなぁって。

ワタシのちっちゃな根性では、たぶんそんな風に、余計な期待や不安感で過ごしてしまっただろうと思うからです。

過度な期待は、最善の結果を生むことはなかったと思うので、あれはあれで幸いだったのだろうと。


人相手ではまったく考えられない話ですよね。

けど。

人相手では考えられないからこそ、やっぱりあれは、はなが先生の手を借りて、ワタシにくれた『奇跡』だと今でも思っています。


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