見出し画像

ワスレグサ

庭のノカンゾウが蕾をつけています。

ノカンゾウの属名はワスレグサ。
目が覚めるようなオレンジの花は、忘れていた何かを思い出させてくれそうなのに、意外な名前です。

忘れ草
 
古代中国でカンゾウは、見れば悲しみを忘れる草と扱われていました。唐の『芸文類聚』には『魏文帝悼夭賦』の「母氏傷其夭逝、追悼無己(中略)覧萱草於中庭」や、『魏嵇康養生論』の「合歓蠲忿、萱草忘憂」が載っています。

八條忠基「有職植物図鑑」平凡社

合歓蠲忿、萱草忘憂
ネムノキは怒りを除き、萱草は憂いを忘れさせる。

「萱草」は、もともと中国では、カヤやスゲなど細長い葉を持つ草を指すそうですが、『養生論』の知識が日本に伝わり、わすれぐさ、と読まれるようになりました。

ただ、日本で萱草をわすれぐさと呼んだ用例は比較的新しいため、日本が中国の伝承をそのまま受け継いだわけではなく、もともと日本にあった伝承と混ざり合った可能性もあるようです。

「萱草」が憂いを忘れさせるという俗信は、もともと中国のもので、『文選』嵆康の養生論に「合歓蠲忿、萱草忘憂、愚智所共知也」とある。それにより、日本で「萱草」を「わすれぐさ」とよんだことは、『和名抄』の「萱草 兼名苑云、萱草、一名忘憂《萱音喧、漢語抄云、和須礼久佐》」からも確かめられる。ところが、「忘れ草」のもっとも古い例は、人麻呂歌集出歌(12-2475)であり、ここでの表記は「萱草」でなく「(恋)忘草」となっている。上記の通り、残り4例はすべて「萱草」なのだが、その内訳は、大伴旅人と家持の歌が各1首、巻12の作者未詳歌が2首、というように、比較的成立が新しいものばかりである。「忘れ草」の表現は、漢籍に見える「萱草」の完全なる翻訳というのでなく、もともと日本にあった俗信と外来の知識とが融合して出来上がったものかもしれない。

今昔物語に、カンゾウを「忘れ草」、シオンを「忘れじ草」とする説話があり、最後にこんな文章で締めくくられるそうです。

嬉しいことがあった人はシオンを植えて見よ。悲しいことがあった人はカンゾウを植えてみよ

八條忠基「有職植物図鑑」平凡社

私は元来、悩みを引きずる性格ですが、そんな難儀な性分とつきあうことを覚えました。

辛い時には、意識的に悩みから目を背けて、日常を回す。

浅い言動で、相手に不快を思いをさせてしまった時は、一度だけ謝る。
何度でも謝りたいけれど、互いの気持ちがこじれるだけ。
だからその後は、時間が過ぎるのをひたすら待つ。

気持ちがすれ違い、友人とギクシャクしてしまった時。
それでも相手のことが好き。
そのことだけに意識を向けて、互いの気持ちがおさまるまで、静かにしている。

誰の言動を不快に感じている時。
すぐに行動に出ない。一呼吸。

誰かのことがたまらなく好きになった時。
どんなに好きになっても、感情には波があり、いつまでも同じ温度で好きでいられるわけではない。
だから、大好きだと思っているうちに会いにいく。
波が通り過ぎてしまう前に、その人との関係を強固なものにするため。ただし、それができるのは恋愛以外。


いつまでも忘れないシオンと、悲しみを忘れられるカンゾウ。
私の家の庭に、実際にあるのは、ノカンゾウです。
どちらかを選べ、と言われたら迷うけれど、私が自分の性格とつき合っていくには、ノカンゾウの方が必要かも。

皆さんは、どちらかを選べと言われたら、どちらを選びますか。

参照元

おまけの話

思ひ草と呼ばれる植物もあるそうです。
昔から人々は、植物の姿に自らの思いを見出していたのでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?