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結局、人間同士はわかり合えない?

別にネガティブな思考回路から言っているわけではないです。

ただ、自分の皮膚感覚として
根本的には
「やっぱり人間同士はわかり合えない」
と思わざるを得ない、ということです。

わかりやすい具体例を挙げると、
僕はもう人生の半分以上を
「遠距離通勤」しています。
往復でだいたい一日に160キロくらいは移動しています。

この「遠距離通勤」は
特に年齢を重ねるごとに
体力的にはもちろん、精神的にも
大きな負担となってきています。

そのことについて
職場の同僚や知り合いなどに
愚痴をこぼすわけです。

みんなは「大変だね~」とか
言ってくれますが、
その本当の大変さ、
それを人生の半分以上続けていることのつらさ、
これをちゃんと的確にわかってくれているのか?
と考えてみると
はなはだ怪しいと言わざるを得ない、
というのが僕の率直な感想です。

それは、何気ない会話の中で
そう感じてしまうものです。

たぶん、その逆も同じことでしょう。
相手の悩みや辛さ。
これについて、自分がどこまで
相手の気持ちに寄り添っているか?
と問われれば、
おそらく「結局のところは表面的な理解」にとどまっているでしょう。

仮に、もう少しは共感できているとしても、
突き詰めて考えれば、
やはり、その人の「あらすじ」を知るのが
やっとだろうと思う次第です。

だから、なにも自分のことについても
「なんで自分の本当のつらさを理解してくれないんだ」と
憤るつもりはないです。

冒頭で述べたように、
結局のところは
「人間同士はわかり合えない」という
ある種の「諦観」の境地になれば
どうということはなくなるんだろうと思っています。

ただ、もっと本音を言うと、
もちろん「わかってもらえない寂しさ」は常にあります。
仕方のないことだとしても。

そういう思いの大元はなんだろうと
いろいろ調べてみると、
お釈迦様の言葉にたどり着きました。

「独生独死 独去独来」

これは「独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来たる」と
読むそうです。

人間は、始めから終わりまで独りなんだということ。
人生が寂しいのはそこに原因がある。

「生まれてから死ぬまで寂しいのが人生」

お釈迦様はそう言い切っています。

ある意味、すがすがしい教えです。
変にきれいごとで取り繕わないから。

そもそもそういうものなんだ、
と理解すれば、
「なんで自分の本当の思いを理解してくれないんだっ!」
という不満も湧きあがらなくてすみます。

それはそれで、
生きていく上で必要な考え方でもあるとも
言えると思うのです。

ごめんなさい。
なんかまとまりのない文章になってしまって。

おしまい♪


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