人生はわりと偶然の連続①【古田更一】
僕は中3のときに科学哲学にハマり、ファイヤアーベントやノイマン、パスカルも割と好きだったが、
彼らに共通するのは理屈過ぎて
割とちゃらんぽらんで杜撰なところだ。
彼らは誰もが理屈の徹底によって、理屈じゃどうにもならない部分を深く自覚している。
なので、なんくるないさーと毎日割と雑に生きている。
ボケーとしているのだ。
たとえば、大学を卒業してから歌手や声優を目指しましょうねら、安定型だろうと不安定型だろうとどっちみちハイリスクだ。
日本人の半分以上は偏差値50以内だし統計的話により日本人の半分以上は日本語をしっかり読めないし、読書なんてなおさら少ない。
そして、受験勉強能力と歌手や声優に相関関係は少なく、どっちもできる人もいればどっちもできない人もいるので、個別の問題だし能力の優位が本人の幸せに直結しているかは分からないし、
割とどっちを踏んでもどうにかするんだ
というギャンブル力がかなり大事だと思っている。
勉強もスポーツもまったく根源的には興味がなく、現代人が好きだからやっているだけだ。戦時中の軍隊教育時代なら戦闘が問われていただけだ。
ただ戦時中には戻りたくないので、割と相対評価はいい加減でいいと思う。
僕は中途半端な若者なので分かるが、今のSNSブームは単なるブームにすぎす、過剰に適応するのは本当にバイアスだ。
信じられないかもしれないが、僕がもっと若い頃は、カネ稼ぎしたり反社会的であることが社会的なんだとホリエモンやひろゆきが唸っていて、起業するのがカッコよくてサラリーマンはダメ!という空気があった。
その空気の良し悪しを言っているのではなくて、ワガママではなくて、自分がどうしたいか?がまず先で、その後に世論に合わさないとどうにもならないと思う。
社会は大事だが、社会はわりといい加減、無責任だということを忘れちゃいけない。
宮台真司も80年代はリア充文化、浅田彰がブームでこんな時代じゃデビューできないし世直し不可能だと諦めて、テレクラ通いであえてマイナーだったらしい。
大事なことは、80年代の売れない宮台真司のテレクラ通いがあったからこそ今の宮台真司の成功や生きがいがあるということだ。
いちいち1度負けたからといってクヨクヨする必要はない。
もちろんクヨクヨして当然だが、社会は割といい加減なので、いい加減な世界に適応しすぎるのもかなり危ないということなのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?