[プチ読感]個人的にはホームコメディ

「強父論」を読んで

私の中で阿川さんは物心ついたころから「テレビの人」であり、『TVタックル』で気難しそうなおじさん達をいとも簡単にあしらうキャスターでした。
勿論、そのお父さんが立派な作家だったことなどは大人になるまで知らず、どのような背景でテレビに出ている人なのかも考えたことがありません。
それでも、テレビ越しに見る阿川さんに対して、比較的好意的な印象を持っていました。
この本を読んだことで、その理由に少し近づいたような気持ちになりました。

そもそも、この本を読むきっかけはタイトルでした。
とんでもない父親を想像させるタイトルにどんなキャラクターが登場するのか、興味が湧いたのです。
かく言う私の父も、記憶の中ではかなりの「曲者おやじ」でした。
だからこそ、本に出てくる父親がどのくらい“とんでもない”ものか読んでやろう、という挑戦的な気持ちもあったように思います。

いざ読んでみると、内容は期待通りかそれ以上でした。
自分の父が「曲者おやじ」なんて思うのもおこがましい程、阿川さんの育った環境が独特かつ面白いことが読んでいて伝わってきました。
読んでいく中で、なんだか自分の父親と重ねてしまい、作中に入り込んで腹立たしく思うエピソードもありました。
一方で常人にはわからないような、小説家ならではの曲者エピソードについ笑ってしまう場面も多数。
作者はそれを意図していないでしょうが、お父さんとの苦い思い出を読めば読むほど、お互いの愛情の深さを感じました。
人によっては、「こんな父親は絶対に嫌だ」と読んでいて不快になる方もいるかもしれません。
ですが、私の勝手な解釈では、どんなことを言っても壊れない関係があってこそ書ける文章であり、それゆえ愛情の深さを感じたのではないかと思います。

丁度この本を読んでいる頃、自身の育ちのことで少し悩んでいました。
大切な人に自分の家庭環境について、正しく理解してもらえないことに苦しい気持ちを抱えていたのです。
昔から私はつい家族に対して、面白おかしく悪態をついてしまう節があり、それが原因でよくない印象を与えてしまいました。
いい歳になって親のことをつい悪く言ってしまうような性格が恥ずかしくもあり、そうなった環境を恨めしくも思いました。

ところが、阿川さんはお父さんが亡くなってもなお、お父さんに対して「楽しい文句」を書いている。
このことに、なんだか気持ちが軽くなり、自分の悪態も何十年という親との関係あってのものであり、その中には愛情も含まれているのだ、と今は納得しています。
それが他人様に正しく伝わることがどれ程難しいことかを考えれば、焦らず流れに身を任せる気分にもなれました。

なので、当然本書において作者の気持ちが理解できたわけではありません。
ただ、勝手な解釈をさせてもらい、勝手に心の安定剤にさせてもらいました。

幼い私の中で阿川さんが魅力的な人に映っていたのは、いくつになっても文句が言えるような面白い家庭で育ったことによる人間性がテレビ越しにも感じ取れ、それにシンパシーを抱いていたのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?