見出し画像

=自然を守る署名活動=

知らぬ間にリゾートホテルの開発が進んでいた事に気づいたことがきっかけで、自然環境保全の為の署名活動が始まりました。
今回開発が行われようとしていた場所は、与論島の中でも一番神高く神聖な場所。

あと一歩のところまで木々が倒されてしまっていました。

なんてことをしてくれたのだと、相手を攻めたく成るベクトルも有りましたが、寸でのところで止まった工事を見て、我々住民が気づかないといけないことがあった!という思いにもなるわけです。

身を削る思いをして私達に気づいて欲しいメッセージを紐解き、今あるべき時代を先駆ける事で、お役目を果たしたい。

そんな思いが湧き上がる今回の出来事でした。


=島の平和の為に行われてきた歴史=

与論島に花城世之加那志という方が琉球から来島し、政治制度も琉球で行われていた父王の政制に準じて行われていたようです。

祝女(のろ)の職をおいて祭政一致の制度を立て、民心の統一を計り、様々な祭りや踊りを創設して豊作を祈り、悪疫を除き人畜繁栄の基を開く為祭祀をしていたそうです。

古くから伝わる十五夜踊りの中にも、今の為に伝えられていた教えの数々があり、この真意を受け継いでいきたいと思います。

※与論十五夜踊は旧暦の3、8、10月の各15日に奉納される。1561(永禄4)年に当時の与論領主が、島内・琉球・大和の芸能を学ばせ、一つの芸能にまとめあげたものとされ、文化交流の歴史をしのばせる貴重な芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

=祭政一致=

祭政一致(さいせいいっち)とは…

祭祀と政治とが一元化、一体化していること。 祭政一致の祭は、「まつり」であり宗教を意味する。 政は「まつりごと」、政治を意味する。 神道はアニミズム的宗教であり、その特徴の一つに祭政一致がある。

かつての日本はこのやり方で国を治め、この島でも行われていました。

しかし明治政府の頃、西洋諸国との交際上の都合もあって1889年に大日本帝国憲法を制定し、そのなかに信教の自由を定めたために、古めかしい祭政一致推進の政策は退潮。他方、西欧化、近代化の装いのもとに祭政一致の伝統を再強化しようとした加藤弘之(ひろゆき)は、フィルマーの王権神授説を援用して天皇現人神説に新しい装いを与え、日本国体論を樹立しようとした。これに元田永孚(もとだながざね)の儒教的権威主義が加わり、さらに穂積八束(ほづみやつか)や上杉慎吉(しんきち)によって、擬似的家長としての天皇像がつくりあげられていった。明治末期から大正期を経て昭和前期にかけては、筧克彦(かけいかつひこ)などの神秘的な天皇崇拝主義が、学校教育を通じて国民全体に強制された。

 第二次世界大戦後「神道指令」により国家神道が廃止され、日本国憲法に信教の自由と政教分離が明記されて、祭政一致は法制的には一掃された。

かつての文化は時代の流れとともに消されてしまったのです。
物質主義として栄えてきた昨今。人との繋がり、人としての価値は希薄になり、「稼ぐ」事が重要視されてしまいました。

物質の発展には必要な歴史の流れであり、なかった時代からすれば必要な時代でした。しかし、大量生産、大量消費の時代にも限界が来ているように感じます。

お金でお金を増やすことは実態を産まない。
格差を切り広げ、価値観が大きく変わるきっかけとなりました。中でも、教育費を稼ぐために子育てに関われない実態に、疑問を抱いたことがきっかけで、ここまで掘り下がってしまいましたー。

物質の発展の為には、精神的な成長を抑制する必要があったのだと思います。物質社会の限界を迎えた今、精神的成長の時代へと移り変わっているのではないでしょうか。

=精神的成長の時代=

時代にも節目があります。物質主義から精神文明へ移り変わろうとしている昨今。きっかけになりやすいのは天変地異や社会情勢の大激変による大混乱。

私達の意識の向け方次第で、難をどれだけのものにできるのかがかかっています。自分の中にも存在する「今だけ・金だけ・自分だけ」精神は、大なり小なりいつも共存していて、その瞬間その瞬間に何に気づき、どの意識で何を選ぶのかが大きな鍵の一つになっています。

地域で起こってること、感じていること。
無関心が増えているなと思うこともあります。それは自分の中にも存在していて、お節介になる必要は有りませんが、意識は広く持っていたいと思うところです。

意識を向けた瞬間からそこは起動しているから…


=「私のできる」に価値がある=

与論は「ユイ」という相互扶助の制度がありました。
家造りや農業など、助け合って生活をしていたのです。
食料品も出し合い、物品の扶助交換も行われていたとか…。

「ユイ」を自分が受けたから、それを返すことが「ユイ返し」と言われ、「私のできる」事で生活の循環が成り立っていた。

だから賃金のやり取りは行われなかった。必要がなかったのです。

相互扶助の精神が生活そのものに反映する、現代の新たなシステムが必要ですね。

「私のできる」は他者貢献への大きな生命エネルギー
生きる価値。生きがいにも繋がり、心身の健康も導くでしょう。

精神文明と物質文明が融合した新たな時代の幕開けを、与論から挑戦したい。一つ一つ実現していきたしと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?