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聖地巡りっていいよね <青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を「見る」>

音楽から勇気をもらった。本で世界の豊かさを知った。漫画からは人生の在り方を学んだ。そしてアニメからは美しい体験を得た。

最近のマイブームの話だ。面白いと思ったアニメで、舞台になった場所が近くにあるなら行くようにしている。いわゆる聖地巡り。これが中々楽しい。

何がいいって、聖地巡りは景色が輝いて見えるのだ。

『青春ブタ野郎』シリーズの聖地、七里ヶ浜。現在映画公開中!
『天気の子』の聖地、田端駅。ヒロインの陽菜さんの家がある。
『リコリス・リコイル』の聖地、すみだ水族館のチンアナゴ。

「ある土地を訪れる」という行為も、単に観光として訪れるのと聖地巡りとして訪れるのとで見え方が変わってくる。理由を考察すると、聖地巡りとして景色を見る場合、その景色にはストーリーが付与されるからだと思う。

例えば「この海岸を麻衣さんと咲太が通ったんだなあ」とか「この駅の近くに陽菜さんの家があるのか」とか「さかなーの場所だ!」とか。

恋人たちにとって初デートの場所が特別な景色になるように、アニメを観るという体験を通して聖地は特別な景色に変わる。

これが聖地巡礼の素晴らしさだ。

個人的な話をすると、僕は「結婚したいアニメキャラランキング」というものを密かに付けていて随時更新している。堂々の一位は『君の名は。』の宮水三葉だ。

俺的結婚したいアニメキャラランキング1位は、『君の名は。』のヒロイン・宮水三葉!
おめでとう!!

特に三葉が東京で生活しているシーンが好きで、毎回一時停止して三葉の家の小物を舐めまわすように観察しては、三葉の生活を想像する遊びに精を出している。

現実の僕も東京で生活しているので、三葉の生活と重なる部分は多い。僕は早起きも満員電車も大嫌いだが、東京は三葉が住んでいる街だと思うだけで、テンションが上がるし「頑張ろう」という気分になる。

何とも単純な思考回路のようにも思えるが、割とこれで救われている面があるような気がするし、ここにアニメの持つ素晴らしさがあるような気がする。

何が言いたいかというと、聖地巡りをしているとき、僕はアニメと同化しているのではないかということだ。

僕は以前から「フィクション化」という主張をしていて、その象徴として近年大人気のVtuber文化を挙げていた。

僕の主張によれば、アニメルックなVtuberは「アニメキャラと会話したい!」というオタクたちの切なる願いを叶えるものであり、キャラクターの存在においてアニメ(=フィクション)と現実の境目がなくなっていく。

例えば去年の『第73回NHK紅白歌合戦』にはアニメ『ONE PIECE』のキャラクターのウタ(歌唱はAdoが務める)が出演したが、これを「Adoの歌、良かったなあ」とは言わないだろう。普通は「ウタ、良かったなあ」というのではないか。

要するにアニメのキャラクターの実在感が高まっているように思えるのである。これを僕は「現実がフィクション化していく」(あるいはフィクションがリアル化していく」)と呼んでいる。

Vtuberではキャラクターからのフィクション化を感じたが、今回の聖地巡りで感じたのは、人生のフィクション化だ。自分の人生をアニメのなかに位置付けるような感覚である。

現実とアニメを連結させた世界観というと、何だかヘタレオタクの現実逃避のようにも思えるが、僕はアニメがあることで確かに世界が美しく見えたのだ。

正直のことを言えば、僕はあんまり花とかを観ても「美しい」とは思わない。世界的な観光地に行っても「ふーん」としか思わない。風流心がないと言えばそれまでなのだが、とにかくただの風景には(あまり)心動かされない。

では何に感動するのかと言えば、やっぱり風景にストーリがあるときだ。そのスト―リーに風景が組み込まれ、自分もその一部になっていると感じたとき、心が動かされるような感じがする。

多かれ少なかれ人間はストーリーを認知機能の基盤にしている。背後の物音からライオンの存在を推測したり、共に生きてきた家族との絆を育んだり、生きる意味を見出したり。

だが現代は盲目的なストーリーを作りにくくなったともいわれる。こうなるとメンタルは非常に不安定だ。自分を世界に繋ぎとめていたストーリーから切り離されて宙ぶらりんの状態になってしまうから。

だからこそ僕たちは、自分たちを一時的にでも繋ぎとめる小さなストーリーが必要なのだ。国のため、夢のためには生きられなくても、アニメのストーリーを自分に接続すれば、多少自分の存在は安定する。世界が意味づけられ、色づき始める。

だから世界をより美しく感じるのではないだろうか。

これは別にアニメの聖地巡礼に限った話ではないと思う。音楽を聴いているとき、自分が何かの主人公になったような気がしたことはないだろうか。

部屋を薄暗くしてVaundyの『napori』を流せば、いつもの自室が途端にアンニュイなドラマのワンシーンに変わる。夜のドライブで変態紳士クラブの『YOKAZE』を流せば、チルなMVに早変わり。こんな感じだ。



まとめると、アニメに出た場所に行ったり、いい雰囲気の音楽を聴くとテンションが上がる。人生は、素面で生きるには無味乾燥すぎる。だからこそ僕たちはリアルとフィクションを少しずつ接近・同化させていくのだ。そして僕はいつか、三葉と合コン出来るようになる日を願っている。

参考

『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』

「青ブタ」シリーズの最新アニメ―ション。この記事は、『青ブタ』の聖地巡りで行った七里ヶ浜が綺麗だったので書いた。世界はそこにあるだけでも美しいが、ストーリーの中に意味づけられると心が動くような感じがする。

『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』 著:東浩紀

僕の記事ではよく引用している本。便利。正しく?理解できているかどうかは不安が残る。

『ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する』 著:ジョナサン=ゴットシャル

僕は割と「人生にはストーリーが必要だから、フィクションでも(人に迷惑をかけない範囲で)それを信じられるのは素晴らしい」というスタンスだが、この本では「ストーリーは悪い面の方が大きい」という立場をとってる。確かに世界の分断とかは、独善的なストーリーの蔓延によって起こっているような気もする。
とりあえず、反対論も挙げときます、ということで。



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