何かを実現したければコミュニティに属するしかない

人間は誰と喋るかによって変わる。個人が自分で自分を奮い立たせて孤独に努力できる程度は限られている。何か実現したいことがあるなら実際に実現している人や同じ熱量で実現したいと思ってる人と喋るのが一番いい。

人間は孤独では頑張れない。正確には、頑張ることはできても、遅いし、頑張り続けられない。
有限な時間を生きている以上速度を無視するわけにはいかないし、継続できなくなるのも大問題だ。
人間は孤独だとやる気がなくなって言葉少なになる。言葉は人に対する呼びかけである。欠如を埋めようとする叫びである。だから、やる気が減れば言葉も減る。

そんなこんな言いながら、書いていると言葉は自然に湧き出てきたりもする。書く前は何も思い浮かばなかったのに、少しだけでも書くと、指がどんどん動いていく。動き始める前は孤独だ。孤独でも少しは頑張れる。

ところで、鉄道というのはなんであんなに魅力的なのだろう。有楽町線と南北線が延伸するというニュースを見た。延伸というより、支線ができると言った方が良いかもしれないが、とにかく延伸が正式に決まった。

僕はいろいろ経て、社会を良くしようとか、社会が悪くなることを本気で憂うとかっていう気持ちはもうなくなったのだが、良い方向に転換する可能性はあるにしても、このまま行くと日本社会は悪くなるんだろうなあと思っている。僕が勝手に思っているというよりは普通に何人かの専門家の考えや予測を総合すれば出てくる結論でしかない。
で、それを僕が大好きな都市論に結びつけると、南北線延伸の話は符号する。

日本社会をこのまま放置というか、意味ある改革を行わなかった場合、まず格差が広がる。大多数の収入は減って、ごく一部は儲ける。儲けるというのはどういうことかというと、ザックリ言えば庶民から搾取する権利を担保に資金調達して投資するということだ。その結果どうなるかと言うと、国内産業は衰退するしかない。既に製造業の衰退は進行している。そうすると海外の製品を買うようになるというのもあるが、それ以上にビジネスそのものを海外向けにやるようになる。内需は搾取対象なのでビジネス対象にはならない。つまり、都心部から海外へのアクセスが今まで以上に重視される。南北線延伸は白金高輪と品川を結ぶ話で、都心部とリニアの接続が一番の目的だが、京急線や新設の羽田アクセス線で空港へアクセスすることも当然視野に入れている。

そういう社会に適応して金儲けを考えるか、それともそうならないように社会を良くするのかという選択肢がある。どっちも気乗りしない。
適応して金儲けというのは、そういう社会のルールに自分を無理に合わせることを意味するし、社会を良くするというのも本質から逃げた姿勢だ。
自分の会いたい人に会いに行くしかない。

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