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「猫かわいい」からゆるーく掘り下げる、日本っぽいもの

こんにちは、note担当の鳩です。日本文化と言われても、何のことだかよくわからない。自分もそのひとりです。ただ、身近にあるものや好きなものを掘り下げていくとそのルーツにはたいてい「日本っぽいもの」があって、それこそが日本文化の入り口かも...と感じているこのごろです。さて私は白猫と三毛猫を飼っているのですが、今日はそのお話です。名前を、すいちゃんとすみちゃんといいます。

すいちゃんとキティちゃん

猫は実際に一緒に暮らしてみると、ものすごくかわいいです。なんででしょう?やっぱり表情がかわいいんでしょうか。小さいときよく見ていた絵本やアニメなんかでは、猫といえばだいたいツリ目に「ω」みたいな口をしていて、気まぐれでちょっと意地悪なやつのイメージがあって、どちらかというと苦手でした。でもうちの白猫(雑種)...すいちゃんといいますが、猫にしてはたれ目で人懐こいので、抱いていたイメージと真逆。どうしたものか。

そんなあるとき「キティちゃん」の着ぐるみをテレビで見ていて、急に腑に落ちました。考えてみると彼女もいわゆる猫らしい猫のイメージとはちょっと違います。黒い目と黄色い鼻だけあって、猫を飼うまでは「なぜこんな顔を?」と不思議に感じていましたが、すいちゃんを観察しているうちに理由がわかったような気がしたのです。

すいちゃんの瞳は夜になると黒く丸くなり、走ったりしたあとに鼻が湿ると、色は鮮やかに濃く見えます。体のラインもセクシーというよりは丸くて餅のようです。猫っぽさとはちょっとちがうけど、かわいい。つまりキティちゃんは、猫っぽさの追求ではなく、猫のかわいいポイントだけを抽出して再構築した最強のビジュアルをしているのではないでしょうか。世界中の愛猫家たちが感じている「猫かわいい」を一般に浸透させたキティちゃんは、やっぱりすごい。猫を飼ってあらためて気づかされました。

すみちゃんと国芳の猫

うちにいるもう1匹は、すみちゃんという三毛猫です。日本ではよく見かける三毛猫ですが、海外では珍しい部類だと知ったのは、猫を飼い始めてからのこと。

たしかに、時代劇や昔のドラマの縁側にいる猫はだいたい三毛猫のイメージだし、浮世絵なんかに多く登場するのも三毛猫です。浮世絵といえば、江戸時代に活躍した絵師・歌川国芳は、多い時で10匹以上の猫を飼うほど、猫を溺愛していて、その作品にはたびたび猫が登場します(三毛猫が多い!)

よくよく考えてみると、現代のように猫のイメージが定型化されていない時代に、猫を絵に描くのはかなり難しかったんじゃないでしょうか。そのままデッサンしたら獣っぽくなってしまう。それが国芳の描く猫は、非常にかわいらしい。人間のような格好をしていたり鞠を蹴ったり踊ったり、女っぽいところがあったりユーモアもたっぷりで、表情も豊か。時代を超えて「すみちゃん、これと同じ動きをしている!」「すみちゃんもこういう表情する!」という感動があるのです。わかりやすいところでいうと『其のまま地口 猫飼好五十三疋』という、東海道五十三次のパロディ作品を見ていただきたい。そこで描かれている猫たちはもう猫愛と観察眼に驚かされるばかりです(ぜひ検索してみてください)。

現代日本人の「猫好き」「猫かわいい」のルーツには、国芳のような猫を愛する絵師やそれに続くようにして猫を愛し、表現してきた人たちの功績があるんじゃないかと思います。さっきのキティちゃんのしかり。猫と日本人と絵画とキャラクターの歴史、これからもっと掘り下げてみたいです。

惹かれる理由を掘り下げると...

たまたま猫が家に来てから1年経ったタイミングだったので、今日は猫をながめながらぼんやりと思ったことを書いてみましたが、猫に限らず、家にある道具、毎日使っている家具、好きな食べ物... なんでも好きなことを掘り下げていくと「日本っぽいもの」にたどり着きます。私たちは普段意識していませんが、そのぼんやりとした「日本っぽいもの」こそ「日本文化」の入り口じゃないでしょうか。

インターネットの世界を見渡せば、最新のかわいいものやおしゃれなものが流れてきてへえとながめて消費してはまた流れてくる...そんなサイクルがあたりまえになっています。目にしたものをただ流すのではなく「なぜ惹かれるのだろう?」と興味の沼を掘り下げていくと、「かわいい」「おしゃれ」の先に、日本文化につながる意外な発見や楽しみが待ち受けているんじゃないでしょうか。まずはむずかしいことを考えず、連想ゲームみたいに自分の興味の底にある「日本っぽいもの」の正体を掘り下げていくのを、毎日ゆるーく続けていきたいです。以上、私と日本文化にまつわるお話でした。

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