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わたしが虐待の連鎖を断ち切るんだ

ぷっぷくぷー🥳🥳🥳

なかなかのダークofダークな題名にしたけど、内容はまだ考えてないよ。どーしよっかな、なに書こっかな~。


こないだもね、ニュースを見ていたら小さい子が亡くなってたよ。なにもせずに9日間放って置いたら亡くなってた。Yahooニュースのコメント欄はやっぱり荒れていて、皆一様に母のネグレクトを責めてた。どうやら母も被虐対児として育ってたようで、わたしはやっぱり…って心のなかで呟いたよ。

高校生のときかな、図書館に通って児童心理、児童福祉の本を端から全部読んだんじゃないかってくらい読み漁った。大好きなお父さんに『被害者意識が高いんじゃないか』と言われたことをいまだに根に持ってるけど、とりあえずそのときは放っておいた。

今のうちに虐待についての知識をつけないといずれわたしにこどもが生まれたらきっと同じように虐待をしてしまうと思ったから。

その頃、目をつぶったら簡単に想像できたのは、大声で泣いてる女の子を無心に殴る自分の姿だった。

だめだ、わたしの代でこれは止めなきゃいけない。
絶対にこの負の連鎖を断ち切ろうって思ったよ。

よし、そんなことを書こうかな。

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わたしが連鎖を止めるためにしたこと。

①自分になにが起きてたかを思い出す

正直、ちょっとしんどいことです。
だって思い出したくないことを思い出さなきゃいけないです。
これをした理由としては、わたしはそれのなにがどう辛かったかを振り返ることでおかあさんの行動心理を読み解れるかも、と思ったからでした。
ノートに箇条書きにしました。
辛くなったら少しお休みして、また書きました。丁寧に書かないで、思ったように書きました。

・暴力(髪を引っ張りながら引きずられる、箸立てを投げつけられる、殴る蹴る)
・暴言(お前なんかいなきゃ良かったと言われる)
・無視、存在を消される
・友達からもらった手紙をゴミ箱から抜かれる
・電話を盗聴される

たぶんこんなことを書いてたように思います。
その頃言えなかった気持ちもノートになら吐き出せたので、多少スッキリしました、多少ね。

②本を読む

とにかく知識を付けたかったです。
母親の感情を受けて、それを感情で受け止めてる限りわたしはずっと傷つき続けなければいけないと思ったからです。
知識をつけることにシフトチェンジすると、すこし冷静になれました。
その頃カウンセラーによく言われていた言葉に
『母親より大人になる必要がある』とありました。
この言葉を受けて感情を抜いて考えるようにすると、ほんのすこし大人になったような気持ちになれました。

・虐待の種類、定義のようなもの
・他の事例を知ることで仲間を感じる
・どんな専門家がいるか
・どんな機関があるか
・どんな影響があるのか(連鎖することを知る)
・母親はどんな心境なのか
・母親はなぜそんなことをするのか


わたしはずっとこどもじゃない。
知識では勝てるし(なんかもう戦いだったんで。)、わたしにはこれからがある、変えられるって思うと前向きになりました。


③思い描いてた理想の母親像を書く

これはもうファンタジーの世界です。
(ファンタジーってどーゆう意味かわかんないけど)
元々妄想が好きで、小さい頃から『こんなおうちだったら良かったのに大会』を寝る前にしてました。

・嘘をつかないおかあさん
・一貫性のあるおかあさん(人前では怒らないけど家のなかでは怒るとか、そーゆうのいや。)
・怒りが持続しないおかあさん(すぐに気持ちの切り替えできるようになりたい)
・ゆっくり話すおかあさん
・こどもの話を最後まで聞いてくれるおかあさん

とかとか。わたしがこんなおかあさんだったら嬉しかったな、と思うおかあさん像がありました。そして書きました。
これは時々思い出して、あかんあかんと自分にも言い聞かせてます。

④なにかあれば助けてくれる機関を作る

その時々の年齢や対象で、関わる機関や組織ってもちろん違うんですけど
ある程度『いま助けてもらえるとこはどこだろう』って知っておいたり相談しておくことは大切かなと思います。

(わたしにとっての)になりますが、

10代の頃⇒学校の先生(担任・保健の先生・スクールカウンセラー)、児童相談所
※今ならスクールソーシャルワーカーとかもいるかな?

20代の頃⇒
学生…学校の先生、スクールカウンセラー
卒業後…区役所、クリニックの先生・カウンセラー

30代⇒区役所のこども家庭支援課、クリニックの先生・カウンセラー、児童相談所

いまは自分のこと以上にこどものことを気に掛けがちなんですが、それでも究極に悩んだらこの件はここに相談だな、みたいなお守りのような機関は知っておくだけで安心感があります。

⑤母親と物理的にも心理的にも距離を保つ 

大人になった今となっては、体力的にも母親にやられるみたいな(えぇ、いつも戦闘態勢です笑)気持ちはさすがになくなりましたが、影響はとても受けてるなぁと感じます。
いまだに母親と話すのは緊張するし気を遣います。たまにライン拒否とかされるんですけど、やっぱり傷付くし具合が悪くなります。

わかってるんです《バランス大事!》。

でもね、母親によく思われたいとか仲良くなれたら嬉しいとかって気持ちもなくならない。
だから

・月に一回以上は基本会わない
(今は正月除いて半年くらいはほぼ連絡も取らないです)
・近付きすぎてることに気付く(近付き過ぎアラートとか開発したい、もしくは誰か開発して)
・近付きすぎると傷付くことを思い出す(すぐ忘れちゃう)
・こどもは預けない(もしなにかあっても、この関係性では責められないので。)

など。これもマイルールみたいなもので、何が良いとかは各々とおもいます。


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今日はこのぐらいにしよっと。

とにかくね、わたしはわたしが育ってきた環境しか知らないんだ。いや、きっとみんなもそうだね。
だけど、『じゃぁしょーがないよね』で済まされることと済まされないこととあるね。
わたしが本当は盾になって守りたかったのは、最初は弟2人だったんだ。
でもその頃はさ、わたしも小さかったし怖かったから守りきれなくて、それが一番いまでも思い出すと涙が出るくらい苦しいこと。

だって殴られてる弟は、すごく可哀想だった。


虐待は基本連鎖すると思っていいと思う。
それが普通と思う。
でももし小さい頃の自分を思い出して、あれは辛かったなあれは苦しかったなって思うことがあれば一旦立ち止まってほしい。

虐待のなにがこわいかって、痛いのが体だけじゃないってことだね。
体より心が断然痛いね。
あと、長引くね。
ほんとは守ってくれると期待したい相手だしさ。

だけど、そんな過去ばかり引きずることでおかあさんに人生を歩まれているような気持ちになるのも、いやだ。



いまは、この人生をじぶんで舵を取って進みたいんだ。






えいやー(*´∇`)ノ
あしたも絶対笑って過ごす!!!!


🥳🥳🥳🥳
ほなね!



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