ピリオドとしてのお茶。
抹茶を飲むと思うことがある。
これは区切りのお茶だ、と。
コーヒーや煎茶のときのように、抹茶を飲みながら1時間もカフェでお話しすることは難しい。大抵は2〜3口で飲み切ってしまうからだ。
しかもお話ししている相手はどちらかというと自分自身の時が多い気がする。
抹茶を飲むとき、私の意識は自分に向けられている。
そして、それまで流れていた時間と、これから流れる時間との間にひとつの点(ピリオド)が打たれる。そのようにして私は、新しい気分、少し言い過ぎかも知れないが、新しい自分を獲得する。
皆さんはどう思いますか?
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