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無題4

あぁ苦しい。痛くて堪らない。
気分を上げる為に爆音で聴いていた音楽も、今は微量の音すら神経を逆撫でするから、私は無音室のような部屋で1人「これ」を書いている。
社会に準ずる事で得てきたものは、僅かばかりの金と、無駄に達者になった言い訳を言う頭くらいで、あとは、失ったものの方が大きいかもしれない。
学生時代、大人という存在は果てしなく大きいものに思えていた。この世界を牛耳っているのは無論大人達であったし、私達に教えを説くのも、赦しを与えるのも大人だった。
好きな大人、嫌いな大人。
「あんな奴にはなりたくないよね〜」と、マックのフライドポテトを口に含みながら笑っていたが、どうだ、その頃の私。お前の「嫌いな大人」とやらに見事成り下がっているぞ。
大人というのは、歳や地位ばかりが与えられ、自分で金を稼げるようになった、背ばかりが大きい子供の訳だと知った。誰しも遊ぶ事は楽しいし、休む事は嬉しい。ただ、純粋に、それだけを考えて行える人は、「大人」の中には限りなく少ないということだけだ。
その事実が、苦しい。
中身は変わらない、それどころか、当時よりも恵まれた環境下にいる事で、自身の感情の制御が効かない状態で、大人として生きていかなければならないのが怖くて仕方が無い。
幼い頃甘える事は、頼る事は悪なんだと勝手に言い聞かせ刷り込んでいった私が、今ようやく人に甘え、頼ろうと出来ている。しかしそれは、幼い頃にしたかった記憶を呼び覚まして行っているから、即ち、精神状態を子供に戻しているだけなのだ。したかった、がすぐできる程私は器用では無いから、これまた相当な労力と時間を要する。どうして甘えるのにこんなに疲れ果てているんだ私は。本末転倒じゃないか、と思うくらいに、心が疲弊しきっている。
昔は大人っぽさを求められ、精一杯に演じてきたのに、急にここに来て、甘えろと言われる。しかし、生きる為には大人ではいなくてはいけない。けれど私の甘えるという記憶は、幼い頃のまま。もう、どうしていいか分からない。
甘える為に色々な方法を動画や投稿で、見ては試して、試しては活かして。甘える為にも勉強が必要なのか。天性の才能で可愛がられる人は、本当に羨ましいと思った。甘えるという行為がなんら苦では無いのだから。
甘えたり、頼ったりした後には、嫌われないか、離れていかないか、自立してない奴だと思われていないか、大人気ないと思われていないか、気持ち悪いと思われていないか不安で不安で仕方なくなる。多大なる罪悪感にも襲われる。
でも、甘えたい。
ただ、頑張ってるねって、抱き締められたい。
私の存在を認めて欲しい。私の努力を認めて欲しい。
「生きてるだけで偉い!」という言葉は何だか安っぽくてテキトーな感じがするので苦手だが、極端に言うとそのくらい褒められたい。
まぁこうして「○○されたい」という欲が先行してる時点で、私はまだ与えられるに相当する人間では無い事は明らかであるから、口を噤む他無い。
助けて欲しい。
抱き締めて欲しい。
頭を撫でて欲しい。
側に居て欲しい。
私がお願いした時でいいから、言わずに分かれとは言わないから。
ただ優しいだけでは無くならない、透明な分厚い壁が、苦しくて苦しくて堪らない。その目の奥が、私の心の先と繋がっていないのが分かるから。
私もだいぶ弱くなった。
1人でいる事が怖くて、誰かの視線も声も怖い。
一体何に怯えて生きているのかも分からないが、ひたすらに、怖い。
ごめんなさい、今日は一日中堕ちてしまっているから、気分の上がる言葉も出てこない。
明日は笑えるといいな。
おやすみ。

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