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たったひとりにいいんじゃんって言ってもらえること

わたしには18年くらい一緒に生きてきた幼なじみがいる。なんとなく悩むことがあったとき、気づくと彼女に連絡をしている。

彼女とは、何も考えずとも、しゃべらずとも一緒に居ることができてしまう。

そんな感じだから、2人で会っても大抵最初はあまり盛り上がらない。

ピークは決まって、またねを言う1時間前くらいに来て、あー話し足りないねと、別れてまた会う約束をする。

大事な話は大体お風呂でする。手がしわしわになるまで、浴槽に足だけつかりながら長話をする。

どのタイミングの大掃除でも捨てられない、幼稚園時代の山のようなお手紙交換の数々を、この間なんとなく懐かしんで見返していたら、「今度テルメ小川(近所の温泉施設)に行こうね」とひらがなで綴られた手紙が出てきたので、昔からお風呂に通うことは変わっていないらしい。


カラオケに行くと、お互い好きな歌を歌って、相手が歌っている時はもはや聴いてすらない、というような関係だが、彼女は、この世の誰とも代替の効かない存在だなぁとひとりでに思っている。



誰にも言えなかったことを、つい最近彼女に打ち明けた。

誰かに打ち明けないともうそろそろ、心が転覆してしまいそうだと思うものの、なかなか踏ん切りがつかず、ラインで「今度話せる?」と書いては消してを繰り返していたちょうどそのタイミングで、彼女が、この前一緒に飲んだときに酔っ払って撮った動画を「これ見て笑」と送ってきた。

「今度話せる?」の今度を今日に変えて送信したら、その日に会えた。


満席のコメダ珈琲のカウンターで、隣に座って、話したかったことを全部ぶちまけた。

そうしたら軽く、「いいんじゃん?」と言われた。


「いいんじゃん?」というたった一言が彼女の口から聞けることを、ずっと期待していた自分に気がついた。


世の中色んな問題があって、たくさんの意見があって、満場一致です!という回答はこの世界には存在しないと思う。

それを分かっていても尚、わたしは不特定多数の誰かの何かをずっと気にして生きている。

でも、たったひとり、彼女が、「いいんじゃん?」と言ってくれたことが、なによりも嬉しかった。それ以外はどうでもいいな、と思えてしまうくらい。


何か、それでいいのかもな、と思う。

身の回りの大事な人たちを大切にして、その人たちに胸を張って生きようと思ったら、私は多分選択を間違えない。

その人たちの「いいんじゃん?」を信じて、生きていけると思う。


またお風呂行こうよと、彼女からラインが来ていた。

この前時間切れになった話をゆっくり、お風呂でしようと思う。

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