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わたしのあたま(いま編)

今日もきょうとて、ひとりごと。


あたまってなに?

あたま
人間を二足歩行にしたときは、いちばんてっぺんに。
人間を四足歩行にさせたときには、いちばん先頭にあるもの。

あたまという、おおきくて重たいはこ。
このはこのなかには、
情報や考え方という名前のたくさんのレーザー光線が、この箱の中で、いろんな方向に向かって、存在している。
レーザー光線。
このはこのなかにあるものは、あまり、厚みを持っていないと思う。
だから、光線。この光線たちは、きっと、頭の中で、曲がってはいなくって、細くてまっすぐな光線。


頭の中でよく起こる、混乱っていうものは
きっと、
考え方が曲がってしまうとか、ぶれてしまう、とかそういうことによっておこることではなくって、
光線が入り乱れてしまうからおこってしまうんだと思う。
まるで、宝物がおいてあるところに張り巡らされている、どろぼう対策のレーザーのような、状態。
頭の中が混乱しているときってそういう状態。

はっきりさせたい何かという宝物に、
なかなかたどりつかせてくれない。
一本一本導線を切っていきたい。正しいものを選んで切っていきたい。けども、まず切ることが怖い。光線が張り巡らされている空間が怖い。何も考えずに宝物をとりにいこうとしても、情報や考え方光線が多く存在した状態の、この箱の中にいる限り、阻まれてしまいがちだと感じておる。

これは、混乱しているときのあたまのなかのおはなし。

混乱していないときの、あたまのなかは
さてどうなっているんだろう?、、、

もしかしたら、ただの重たいはこかも。
いや、そんなこと言ったら、わたしのあたま、とそのなかに対してとっても失礼。
ストックルーム?保管倉庫?そうだ、倉庫。
いや、落ち着いているときは、もっと美しい。大切な記憶たちは、決して倉庫などの暗いお部屋の中には存在していない。
ステンドグラスが張られている、美しい保管倉庫。
いや、美術館だ。
ずっしり重たくって、貴重。

あれ?厚い。まったく光線のように細くない。

だけど、宝物を置いた瞬間に、ステンドガラスの上からシャッターがばしゃーんと閉まる。
光線が、
光線が張り巡らされる。
そういう感覚が今とってもしっくりきておる。

センサー機能がよく働く美術館。

これがいまのわたしの頭の中。

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