働くことと、私のこれまでとこれから
「働くこと」を考えて立ち止まるときに、いつも思い出す言葉がある。
社会人になって数ヶ月、働いて毎月お給料が振り込まれるというのは想像以上に素晴らしいことだった。慣れないことばかりで大変だったけれど、自分が組織のひとりとして存在していることを感じられる。それでも、振り込まれる金額と合わせて、差し引かれる金額を目にするとちょっとさみしい。
そんなとき母から届いたのが、このメッセージだった。
ねえねえ、ひとり親の医療支援ねえ
所得が多くなって、規定以上だから却下だって
残念だけど、福祉制度ではお世話になったわ
まあ、皆さん、お母さんが
定時に帰って、土日祭日とお休みの会社で生活でき、
なおかつ社会に支えてもらって大きくなったこと
忘れないでくださいね
必ず、社会貢献できる社会人になってください
今からは、恩返しする立場ですよ
母は、看護師だ。ひとりで私たち3人の姉弟を育てるために、休みの融通が効かない病院勤務を離れた。お給料が少なくなったとしても、定時に帰れて、土日休みの仕事に転職した。その分家計は厳しかったが、私たち姉弟の心はとても豊かだった。
夕飯は毎日家族全員でテーブルを囲んで食べたし、学校がない日はお母さんがずっと家にいた。授業参観は絶対に休みをとってきてくれた。病院で働いていたころの話をする姿は、懐かしそうで、少し心苦しかったけれど、それでも間違いなくしあわせだった。
毎月お給料から引かれている数万円が、過去の自分と同じようなこどもたちのために使われているかもしれない、なんてことを思った。
救う、なんていうにはこの世界は足りないことばかりだろう。それでも「昨日より今日がよくなった」とか、「日曜日にお母さんが家にいてうれしい」とか、そういう瞬間を作るために使われていれば、引かれる金額はなんてことない気がしてきた。
同じように、自分よりも先に社会に出ていた先輩たちに助けてもらって今があることに今さらになって気づく。ありがたい。先輩方、ほんとうにありがとうございます。
それは税金だけではない。どうやら、私にも10万円が振り込まれることが決まったようだ。きっとこの10万円も、使った先でさらに誰かの生活をよくするために使われている。どう使おうか。どうやって、社会に恩返しをしていこうか。
🍎🍎🍎
キナリ杯に応募しよう!と友人からの呼びかけがあったとき、何を書くかとても悩んだ。うまく書ける自信はなかったが、母からもらったことばと、そのとき感じたことをかたちにしたい気持ちの方が勝って、この文章をインターネットの海にそっと流すことにした。
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