一度死んだから



昨日の越谷EASYGOINGSのライブをもって、1年半ちょっとハードに続けてきた弾き語りのライブ活動を一旦、少しだけ、おやすみします。

頑張りすぎたとかじゃなくて、こればっかりは正直私情に近いかもしれない。いや、もはや私情です。
これも人生って開き直りたいけど、まだそこまで心は治ってないし、それはわたしの音楽を好きだと言ってくれる人に失礼だとも思ってるから言いたくない。
(正直これ治るのか?とも思ってるけどね、下手したら一生付き合わなきゃいかんかもしれないのはちょっと怖い話)


語弊がないようにもう一度言うけど、ライブ活動を、です。音楽辞めるなんて言ってない。



そんでもって、ソロプロジェクトとして、1人でやってた音楽を始動し直すことにしました。

弾き語りの今までの感じも大切にしつつ、色んなことしたいと思ってます。

1人だけど、1人じゃない。
助けてくれる仲間がいて、わたしの音楽が成り立つ。
そうなると、わたし1人だけで作り上げるものじゃなくなってくる。
そんなこと考えたら、この機会だし、個人の名前じゃなくて、プロジェクトとして立ち上げ直そう、と思いました。自分なりの覚悟も込みで。

わたし救われたなあ、と思います。
どん底から、ここまで引っ張り上げてくれた人たちには本当に感謝したい。ありがとう。




最近は一度死んだも同然と思って、案外なにかを始めるということに抵抗がなくなってきた気がする。

併せて、それなりに自分なりの覚悟が芽生えて、わたしはこうしたい、ああしたいをちゃんと形にしようって思えるようになった。

成長してるのかな、人間として。



環境がそれなりに変わって、色々発見があったり、ありがたいことに環境にも恵まれて基本的には平穏な毎日を過ごしてる。

昔だったらもう少し打撃を喰らいそうな出来事も、まあそういうこともあるよね、くらいで受け流せるくらいにはなった。

ただ、やっぱり患ってしまったものはそう簡単に治らなくて、そのギャップとやらに未だに苦しむ。元凶を目にすると、死んだはずのわたしが出てきて、苦しめる。そのおかげで行動制限もかかっている。場所によっては付き添いなしでは行けない場所もある。多分この状況とはしばらく付き合うことになるだろう。



環境に恵まれたのは、多分わたしが一度死んで少し違うわたしになったからだと思っている。
自分を取り巻く環境は、自分自身からだと思うから、まずは自分がしっかりせねばと最近思ってる。そういう意味でも、リスタートという意味でも、一度死んだ、って言葉を使ってる。

他人の幸せを純粋に喜べる人間でありたいし、悲しみは一緒に抱えてあげたいし、悲しみを抱えさせた相手には怒りを覚えるし。その辺のところは変わらず持っていたいけど、直すべきところもたくさんあるから、完璧は無理かもしれんけど、自分が理想と思える人間でいられるようになりたい。いやなる。

悪いものを寄せ付けないって意味でも、しっかりした人間でありたいなって強く思います。多分次はないって意識もあるから。次死ぬ時は本当の死になってしまう気がするから。わかんないけど。




色んな人に救われてる分、ちゃんと救ってあげたいし、音楽で返せたら1番理想です。そのために色々やっていきます。今はその辺で怖いものはない。怖いのはただ1つだけ。嘘、それとあとお化けくらい。



頑張るは当たり前だから、ちゃんと裏切らないように継続していきたい。今度こそ、をちゃんとする。いい芯のある人間になる。
安心してほしい、前向きですわたし。ハングリー精神は残ってる。じゃなきゃもがきません。

言葉が、上っ面の薄いものにならないように。
そんな汚い人間にならないように。
もう踏み外したくない。見守っててください。


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