下書き
このnoteの下書きが大量に溜まっていることに気がついた。Twitterの下書きも大量にある。
感情を吐き出すことは正なのか悪なのか。ずーっと考えてる。曲を書き始めた頃から。
心配させたら良くないは一理ある、不快な気分にさせるからも一理ある、けれど溜め込んだら壊れるも一理ある。
誰かに言ったって吐き出し切れない感情があって、それを更に誰かにぶつけていいものなのかもわからない。
塞ぎ込む、って多分こう言うことなんだろうなと思う。塞ぎ込んでるときは発言も減るし、色々良くない方向にいく気がする。
誰にでもいい顔したいわけじゃないけど、嫌いな人の目線でさえわたしは怖いのです。
わたしも人間、あなたも人間。
好きがあるなら、嫌いもあって当たり前。
それでも、嫌われるが怖いわたしは臆病だし弱い。
優しくされすぎても怖い、愛ゆえの叱られるも怖い、放っておかれるのも怖い、わがまま。
こんな根っこになってしまったのはなぜなんだろう。自分が足りないせいで人からの愛を素直に受け取れないことが悲しい。
誰かの気を引きたいからこんなこと書いてるんじゃない。
本当のわたしは汚くてしょうもない。
人のそんな部分は大丈夫だと言えるのに、自分のことになると途端に許せない。
ああ、きっとそんな発言をする自分が嫌いなんだろうな。
本当は笑っていたいし、思いっきり泣きたいし、嫌なものは嫌だとはっきり怒りたい。
でもそんな自分が嫌いなんだろう。
ずっと笑っていられる自分でいたいんだろう。
綺麗事ばっかり表に出すのが正なのか、全部吐き出していいのか、わかんないや。
だから下書きが溜まっていくんだろうな。飲み込む言葉が多すぎる。
人間として、どっちが正解なんだろうな。難しい。
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