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エーリッヒフロム「愛するということ」要約と解説パート1



誰に向けて書いてるのか
モテたい人
恋愛が怖い人

この記事を読む価値
恋愛観が180度変わる

要約
1恋愛が商品になっているから「愛」をしれない
2愛とはもらうものではなく、与えるものである
3愛する訓練をし、全ての人を愛せるようになれば、一人の人を愛せるようになる。

本当の愛が何であるか知らない現代人

毎回恋に「落ちて」この人が私の運命の人だ!となっても時間がたてば相手の嫌なところが見えてきて気持ちが萎えてしまい「やっぱり私の運命の人はこの人じゃない」となってしまう。そして私のことを愛してくれる人を「待ち続けている」。

男の人も「愛されること」を願う人が多いです。めんどくさいラインをする人、かまってちゃんなど「自分だけに無償の愛を望む」男たちは恋愛カーストの中間から下の層に沢山います。

なぜ彼らは「愛されること」に失敗し、また「愛されること」を望んでしまうのでしょうか?

理由は「恋愛が商品」になってしまったからです。

恋愛ドラマが理想の恋愛の形を描いて視聴者に提供したり、どんな服を身につけてるのかで恋愛カテゴリーに分かれてしまいます。どんな人を「選ぶのか」とまるで商品を選ぶかのように恋人を望みます。

恋愛の相手を商品として選ぶということはどういうことなのか?
商品ってことは在庫がありますよね。つまりいくらでも変わりがある、ということなんです。可愛い子ならたくさんいて、おしゃれな人もたくさんいます。男らしい人も、女らしい人も、金持ちも、貧乏もたくさんいますので、あなたの恋愛対象は常に入れ替わり可能なのです。

そこであなたは自分の見た目や容姿に限界があるから私という商品に折り合いをつけて、相手にも選ばれるようにします。

「恋人が商品」になってしまったから、「本当の愛」がわからなくなってしまいます。理想の相手を消費するから、まだまだ不満に思い理想の商品を追い続けます。

モテない男も商品を買えるほどの豊かさを持っていないから、商品と本当の愛を混合させてしまい「満たされるであろう愛」に飢えてしまいます。

なぜ恋愛が商品になったのか?

この世の中が「平等」になったからです。みんな教育の機会を均等にうけて、男女も会社に勤める事ができるのが「平等」です。

しかしこの「平等」がみんなの個性を薄めていくのです。学校では子供達を扱いやすいように規律を定めて、就活ではみんなが同じスーツを着ます。簡単に言うと社会が出したルールから外れると、周りのみんなから白い目で見られますよね?フリーターであると白い目で見られますもんね。

だからみんな「個性」を消していくのです。平等を引き換えに個性をなくしてしまいました。(正しく言うと、平等と個性は成り立ちます。しかしみんなが愛のトレーニングをしないから歪んだ形で個性が奪われるといっています。)

では個性が消えたこの社会では何が基準になるでしょう?それが収入や学歴や社会的成功なのですね。ぽっかり穴が空いた心の穴を埋めるためには本来は愛のトレーニングをしなければならないのに、みんな間違った方向に力を注ぎます。しかし最優先に力を入れなければならないのは愛を鍛えると言うところなのです。人間の歴史は「愛が飢えていたために」悲惨を起こしてしまったとフロムはしてきしています。

個性がない社会で、唯一個性らしさを見出す事ができるのが「商品」なのです。男らしさや女らしさといった商品と特徴が、没個性化された社会での唯一希望と私たちは勘違いしています。

だからこのままだと愛が満たされないまま恋愛という商品を消費し続けてしまうのです。

愛とは何か

ここが結論です。

続きはブログに書いています。無料です。




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