短編 ラ・ロシュフコーの無為と創造

ラ・ロシュフコーの無為と創造

ラ・ロシュフコーは文人である前に優れた武人であった。

彼の一族はフランスの屈指の名門の貴族で、幼い頃から剣の教育、剣士としての教育を満遍なく教えられた。少年心が成熟するまえにはもう初陣は終えていた。貴族であるという、無意識にしてもつ大きな矜持は間違いなく彼の人格を磨き上げた。
結婚という貴族のゲームにもこともなく参加させられた。もちろん彼には愛人もいた。結婚というものは儀式というゲームであったことを彼はわかりきっていた。だからその才ある剣士は夫人とその取り囲む生活に、戦略の打算をいつも見つけ出そうとしていた。
また義憤という言葉は、生まれながらにして神が与えた地位にしか持てないことも彼は知っていた。王妃救出のために猛威を奮った彼の出撃は、武人の輝く瞬間であると誰もが口をそろえた。
その出撃は結局、老練な枢機卿リシュリューが血の気のあるラ・ロシュフコーを牢獄に入れて終わった。これは若気の至りに対するお仕置きであった。しかし、この一端を垣間見ても彼の武人としての才能は一目瞭然であろう。彼は若くしてまさに優秀であった。

ヴォルテールが言ったように、彼が生きた時代はまさに栄華の極みであった。文化が自ら頂点であると自負した時代である。社会、思想、哲学、信仰も限りなく高みに近づいた時代の匂いに彼は感ぜずにはいられなかった。なぜならば、彼の存在そのものがこの時代の担っていたからである。

しかしながら、まさにこの栄華の極みこそが時代の解体の原因であったのだ。振り子の振れ幅が大きければ大きい。その反動は、たとえ僅かな事象であっても、あまりに大きい。当時枢機卿リシュリューによって牢獄に入れらた彼はすでにその匂いもかぎ忘れることはなかった。牢獄の暗闇の中で床に落ちる水滴の音は、無為という兆しの調べであった。

そして解体の時が来た。枢機卿リシュリューが死に、そしてルイ13世が死んだ。
ラ・ロシュフコー家は宮廷に追いて王族のすぐ次に占める権力の持つ一家だったので、その影響は凄まじく大きかった。
そして次に起こるのは、貴族たちの欲望(アンテレ)の闘争である。誰がどの派閥につくのか、お前は誰の味方で、誰の敵であるのか、いかに人を欺くのか、こういったことが絶え間なく続いていくのである。神経症になり衰弱したものもいた。いやむしろ、よくも衰弱せずにいれたことか、と称賛せざるを得ない。ラ・ロシュフコー自身も何度も友を疑ってしまうのではないかと苦心した。そして疑ってしまう自分自身にも疑いの目を向ける時もしばしばあった。不安の結果、誇り高き武人が、喉の食道が筋肉の緊張によって詰まり食事が通らなかったことなど誰にも言えまい。

この政治の混乱はフロンドの乱で終わった。彼は完敗した、そして失業した。彼は武人ではなくなったのである。一つの時代が終わり、余儀なくされた無為が生み出したのは強烈な創造力であった。ラ・ロシュフコーは剣の代わりにペンを握った。文明化され、高貴な場所で行われる、貴族同士の闘争には人間の本質が見える格好の場となった。死と隣り合わせにいてた剣士の彼は、生身の生をもってこの世界の奥を見通していたのだ。愛、友情、勇気など美名の下に潜む打算、自己愛という業を暴くことが彼の次なる使命であった。

「セネカの皮をこの私が剥いで見せよう」
彼はこの世界を挑発させるにはたった一文で充分であった。これは類稀なる文才の証であり、誰もが羨む洞察力と知性である。歴史に名を残したのは、この創造力のおかげである。自らが有用であるという感覚の喪失と行動への激しい願望が、彼の内面で創造的な流れの堰を切ったのである。

死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟を決めてではなく、愚鈍と慣れで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。

「ラ・ロシュフコー箴言集」

なぜこれを書いたのか

はじめはエリック・ホッファーの「現代という時代の気質」という本がきっかけでした。そこでのエリック・ホッファーの歴史の分析力の異様さにビビりました。そこで歴史上の書く名だたる文人についての考察にめっちゃ感動した。みんなみんな時代のしかたなさ(帝国の終焉とか、失業とか)がきっかけで強烈な創造力を生むんですよ、っていう話がなんかすっげー胸をうたれた。というよりかエリック・ホッファーの慧眼なる洞察力の凄さに胸をうたれた。なんかそれについて俺も書いてみたいっておもって初めてラ・ロシュフコーの箴言集も買ってよんみたけど、これもまたすごかった。モラリスト文学の最高峰を目の当たりにして脳汁がすごいでた。こんな本もっと早くに出会っていれば、と感動の次に後悔が来た。素晴らしい本の基準がなんか増えた気がする「次に後悔がくればその本はあなたにとって名著」みたいな。すごいひどい無勉強だけど、書きたいから書いた。

ちなみに、「セネカの皮をこの私が剥いで見せよう」の意味解説なんですけど、
岩波文庫のラ・ロシュフコーの箴言集の表紙の絵の話です。これは解説に書いてたのですけど(てかほとんど解説に書いてるんですけど)、セネカの石像に羽の生えた天使が顔の剥がれた皮を持っている絵になってるんですね。セネカっていう古代の哲学者がいてるんですけど「理性がやっぱ一番ええんや」みたいな考え方を持ってるんですね。ラ・ロシュフコーはそれにすごい疑問をもっているんですね。そういう意味です。

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