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正社員辞めてマルクス読んでたら、マッドマックスの銀のスプレーを歯にかけて自死する話 5

こんにちは、ばっきーです。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。パート5です。

今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。

ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります

書いていて思ったんですけど、わかるところは書いておりません。
これどういう意味なんだろう?と疑問に思ったところを取り上げてたりしてます。
あとは自分の理解ってこれであっていますか?という感じで書いています。

ではいきますね。
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第一巻の232pまできました。

ここまで資本論を読んできて思ったんですけど、
お金払う側って別に偉くないな、ってマルクス的に思いました。
銀行券と商品の等価交換ですね、べつに銀行券を払う人だけが偉いわけない。

お金で買っている人は、いわばお金を売っている人でこれをマルクスは途中で誰かを引用して「買うは売る、売るは買う」ってゆーてました。

だから等価交換に基づいてるだけで、謎の道徳から切り離すことはできないんでしょうねという。あれですよ、これ何も買い手をバカにしているわけではなくて、お互いが等価交換をする上で生活がなりあっているのでお互いに敬意を示し感謝をしましょうね。ただこれで「自分のほうが立場が上だから」と履き違えないでね、という話です。

それと、ここ最近おもっていることがあって、これは今は具体的には書かないけど資本家(経営者、事業者、投資家)の道徳と労働者の道徳って違うのに、資本家側の道徳を労働者に押し付けることがあってこれって限界ありますよね、とおもうんですよね。まだ具体的には話さないけど。すごいニーチェ味をかんじるんですよね。

ニーチェが「権力の意思」あたりで言ってたんだけど(でも「権力の意思」はニーチェがちゃんと書いたのか疑問)「支配者は、不道徳的な仕方で道徳を被支配者に押し付ける」みたいなアフォリズムがあって、それに近いなって感じるんですよね(話は違うんだけど)。エーリッヒ・フロムも言ってたんですけど私達は資本主義的な性格を教育されておりますので、資本家側の道徳ってそもそも労働者の道徳と論理が違うし、かつ資本主義の成功者側の道徳が歪んだ形に変えられ、より労働者を労働者たらしめるために搾取する構造があるようにも見えるんですよね。すみません、わざとすごくわかりにくく書いてます。ってゆーってゆー。

ラ・ロシュフーコーに当時のストア主義の美徳の仮面を剥がしたように、資本主義における道徳の仮面の皮を剥がしてもらいたいものですね。

おっと。

気がつけば、「社会悟りました(笑)ポエム」書いてました。これ確か17歳ぐらいの多感な時期にやるんだよね?僕24歳ですがまだまだ現役です。

中世リヨンにおけるヴィルマン

資本論第一巻239p

16世紀には4つの大市と貨幣市場が催され、多数のイタリア人商人が信用取引を可能にしていた。イタリアというのはフィレンツェ・ルカ・ミラノ・ジェノヴァ各地である。この北イタリア出身の商人はリヨン市民との結婚を通じて市民権を取得し、不動産を買うなどしてリヨンの社会に融けこんでいった。しかしなおイタリア商圏の利益代表者を選出した。大市はそれぞれ2週間開催された。支払金融市場は8日間行われたが、やがて他の大市から自立拡大した。支払金融市場では手形の格付けが行われ、イタリア商人が取引前に相場を決めた。金を借りる商人の信用履歴がノートにまとめられて慣習法として参照された。そこでは記号が用いられたが、“X”は引受可能手形を表し、“SP”は引受拒絶sous protet を示し、“V”は疑わしい場合を意味した。また外国為替相場については、1572年にフィレンツェとルカが、1604年にジェノヴァもそこへ加わってレートを統一した

https://ja.wikipedia.org/wiki/リヨン

ふーん。ヴィルマンって振替っていみらしい。昔から市場が盛んだったのね。リヨンってフランスなんですね。

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ルイ14世治下のフランス農村住民の大変な窮乏は…現物租税から貨幣租税への転化の罪でもあった

245p

税を米で納めるのではなくお金で納めることがなんで大変なんだろうって思った。
だって荷物軽くなるし楽じゃない?上記の文で検索にかけてみると↓以下2つのがあたった。

1 http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/het10/2010note.pdf

多分大学のレジュメだと思われるやつが公開されてた。
これは、今回の疑問とは関係ないんだけどなんかすごい良い資料だから出会えたことに感謝。

2つ目が以下に出会った。
これはマルクスが日本についての話も少ししていて、日本の地租改正についての講義のレジュメ?だ。

収穫時には供給過剰気味になる米価は下落し、それを売って 金銭化することは、現物納入の場合の十俵あたり四俵では効かなくなる。これはすぐ理解 できる。そればかりでなく、農業投資の時期には種籾、肥料、農具に対する需要が集中し て、今度は価格が上がり気味になる。この落差が年々常態化していくわけだから、それだ けでも大変であった。ノーマンはこうまとめている。
相対的自給自足の立場から市場依存の立場に押しやられた小農民は、収穫がすむとす ぐに米を売ることを強制され、したがって価格変動から起るあらゆる危険にさらされた。〉 (ハーバート・ノーマン『日本における近代国家の成立』第五章〈土地改革とその社会的 帰結〉、222p)
の商品化された米穀と金納の連結により、農民はいやおうなしに貨幣経済、そして資 本主義経済に巻き込まれる。後にみるように農業恐慌の原因の半ばは、冷夏や津波であっ たが、残りの半分はまさにこの〈価格変動〉であった。米価下落時に金納を強制された農 民は、高利貸しに頼らざるをえなくなる

http://www.muse.or.jp/ehonnomori/phil-semi/近代的定位第五回:テキスト.pdf

これをみると大変そうにみえる。
お米じゃなくて、お金を納めろって言われたからお米を売るんだけど皆売っているからお金にならない。価格変動に左右される。これは苦しい。
さっきの引用にも書いてたけど、マルクスは唯物史観の持ち主なので、法律や制度というようなイデオロギーは、実際の経済の地盤から影響されているので、いきなり日本の経済の地盤に、西欧的な法制度を導入すると下部構造(経済地盤)と上部構造(法制度、税制度)の間で混乱起こるよね、って書いてました。

た、たしかに〜

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発達したブルジョア的生産の諸国は…

資本論第一巻253p

ブルジョア的生産ってどーゆー生産?笑

例えば『経済学批判』(1859)では、マルクスは アジア的生産様式、古代的生産様式、封建的生産様式、近代ブルジョア的生産様式という、4つの異なる生産様式を区分している。

https://navymule9.sakura.ne.jp/090401modeofproduct.html

この生産様式が4つに分かれているのは見た。このサイトページも前に訪れた。

第三はアジア的生産様式から始まり、奴隷制的、農奴制的、資本主義的生産様式と叙述さ れる、歴史的発展段階の叙述である*3 。

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/26908/0101402401.pdf

近代ブルジョア的生産というのは、資本主義的生産様式ということか。

大学のときの卒業論文エーリッヒ・フロムをFランレベルで取り組んだんだけど、大学の時はマルクスもこんな感じで取り組みたかったなぁ。

ちなみにいまどんな気持ちでマルクスを読んでいるのかというと、このマルクス実況中継第一回目の時に「マルクスは読まなければならない」って言ってたんですけど、

映画「マッドマックス」より自己犠牲する前に奮い立たせる簡易な儀式

映画マッドマックスあるじゃないですか。あれでなんか雑魚キャラが自己犠牲する前に、銀のスプレーを歯にかけるシーンがあるんですね。歯にプシュー―!!ってスプレーかけて「おわぁあああああー!!!!!」って叫んで、それに気づいた仲間たちにも「お前の自己犠牲は勇気は一生語り継がれるぞ!!!」みたいなテンションで同じく「おわぁあああああー!!!!!」って叫び讃えられ、自ら命を犠牲にして敵を攻撃する、というシーンがあるんですね。いわば、自己犠牲前に自分を奮い立たせる簡易な儀式ですよ。


僕も今そんな気持ちでマルクスを実況中継しています。

正社員を辞めるという自死に向かうべく、資本論という銀のスプレーをプシュー―!!と歯にかけているわけですよ。

奮い立たせるためにマルクス読んでます。ドラッグ服用して精神異常状態になるためにマルクス読んでます。

ちなみに、さきほどのマッドマックスの画像探している時に下記の記事を見つけたのですが、山形さんという方も銀のスプレーを歯にかけたモノマネをしたことがあるという記事内容があります。この方トマ・ピケティの「21世紀の資本」の翻訳してる方です。実家にあります。兄から誕プレでもらいました。

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最初の価値を超える剰余を、私は―剰余価値(Surplus value)と名付ける

資本論第一巻262p

きました。名パンチライン。まってました。
ここからが資本論です(ドン!!!)

ここからがワンピースです

はい。一巻読み終わりました。
個人的には岩波文庫一巻の「第二編 貨幣の資本への転化」のの第一節が激アツポイントでしたね。

次回は2巻を読んでいきたいなと思います。

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