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正社員辞めるからマルクス読む 7
こんにちは、ばっきーです。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。パート7です。
今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。
ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります
書いていて思ったんですけど、わかるところは書いておりません。
これどういう意味なんだろう?と疑問に思ったところを取り上げてたりしてます。
あとは自分の理解ってこれであっていますか?という感じで書いています。
ではいきますね。
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第3巻にきました。これ9巻まであるんですけど。
長くね?笑
資本主義的生産とは…本質的には剰余価値の生産である。
これは自分用にメモっています。資本主義の中で資本主義的生産から一つずれた世界に逃げたなかで生きれるようような人生設計を僕は作りたいですね。アンチ・オイディプス早く読まないと。
自戒として書きます。
時として、本を読む意味を問われた時に
結局本が答える答えって、凄くシンプルだったりするんですよね。
好きなことで生きろ とか
自分を信じろ とか
國分功一郎先生の「暇と退屈の倫理学」もハイデガーという難解な哲学者を説明した上で、最後の結論は「好きなことをして生きましょう」なんですね。
じゃあ、本を読むと何が変わるというと
思想の深度が変わるんですよね。
本を読んでない人のいう
「自分を信じる」という言葉ってとても脆いんですよね。
理由がただ一つだけだったりするし、
自分が信じてるって思っているけど、実は自分が信じれていないことに自覚していなかったりするんですよね。
本読んでくると
「自分を信じる」という言葉を支える論理的支柱がたくさん出てくるんですよね。
理由、分析10個ぐらいでてくるんですよね。理由の理由もどんどんでてくる。
分厚い主張だっから、どんな状況に出くわしても「それでも自分を信じる」という「それでも」が言える。
さっきの話に戻りますが、脳みその作りが私達の3次元ぐらい違う人があなたを支えてくれますのでそりゃ心強い。周りの人たちはマルチ勧誘してきますが、「こいつマルクス読んだんかな?」が一つの門前払いになりますね。
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特殊資本主義的生産方式
ってなに?
つまり生産手段と労働様式とを変革して生産様式そのものを新たに形成し,資本主義的協業,マニュファクチュア,機械制大工業といった「独自な資本主義的生産様式」を創造する。
資本主義的生産様式の変革と情報化の意義
生産様式に基づく支配の構造 佐 藤 洋
工場労働ってことでいいよね?
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p56あたりぐらいから
「労働力の価値」と「労働の価値」を2つくっきり区別して書かれている。
これらふたつはどう違うのか?
マルクス経済学における労働力
マルクス経済学においては、労働力(Labor power)は人間の労働能力の要素の総和、生産力の主体を指す。労働力によって生み出される行為を労働と呼び、マルクス経済学において両者は厳密に区別される。
資本主義社会では、労働力は商品となり、資本家によって市場で売買されるものとなる。労働者は資本家に労働力を売って賃金を受け取る。労働時間(労働力が生み出す価値)が労働力の価値より大きい場合、剰余価値が発生し、資本家は搾取した剰余価値を資本として蓄積する。
労働力も他の商品と同様に価値と使用価値がある。労働力の使用価値は新たな価値の創造であり、価値は労働力の維持・再生産に必要な生活手段の価値である。ただし、労働力は人間と切り離せないところに他の商品との違いがある。
カール・マルクスはリカードの投下労働価値説を受け継ぎ、労働と労働力を概念的に区別することによって資本家の利潤の源泉が剰余価値であることを明らかにした[17]。賃金と交換されるのは労働ではなく労働力であり、労働力の価値の補填分を越えて労働が生み出す価値が剰余価値であって、これを利潤の源泉とした。
ウィキペディアよんで思ったんだけど、労働と労働力の価値をはっきりと、区別しているのは、
これまでの経済学者が値段の変動をどう説明しようかな、と頭を悩ませたことが経済学の長年の問題があったからなんですね。
途中でマルクスが岩波文庫の資本論2巻後半辺りから、物価があがったりなどの価格変動の話をしてたんだけどこういう背景があるんですね。
そもそも僕読んでる中で、こういう問題意識の背景知らなかったからたぶんすごい読み間違いしているかもしれないね〜ってゆ〜
マルクス的には学校の教科書で取り上げられる需要と供給の均衡価格でいう概念の説明少し違うのかな?
(補足)
価値論には二つの考え方があります。一つは需要と供給の量に基づいて価格が決定されるという需要供給論です。これはその通りなのですが、需要と供給が何によって決定されるのか分析する必要があります。そのため、需要と供給についての理論が必要となるのです。需要と供給が価格を決定するという理論は多くの人が思いついていたのですが、需要や供給そのものについての議論は構築するのが難しく、マルクスの時代にはまだ生まれていませんでした。
労働者から買っているのは「労働者」ではなく「労働力」っていうのはわかる。ここはわかる。けど「労働力」と「労働」を明確に分けることでどうなるのか、そしてそれがどう賃金や商品価格に影響されるかはまだ今はわからない。
で、なんでこんな話してるのかというと、賃金ってどうやって決められてるの?
っていう話をするからなんですね。
だってほら、基本的に商売のやり取りって等価交換やん?商品にはそれ相応の価値があって同じ価値のお金を払ってるやん?
でも労働力だけおかしいやん?
労働力って剰余価値を生み出してるけど、その剰余価値の分のお給料を払わないのはなんで?
5000円でその日が生活できるならば、5000円分の労働時間で良いのに。
なぜ1万円分の労働をさせて、5000円しかお金をあげないのか。
上の例では、12時間働かせる労働力の価値を3シリングとする。再生産に必要とされる6時間の価値とする。労働力が生産する価値は他方、6シリングである。なぜならば、事実として、12時間の作業とその価値は、それ自身の価値ではなく、働くことになる時間の長さに依存する。このように我々は、ただ眺めるだけでは、6シリングの価値を作り出す労働が3シリングの価値を持つと云う馬鹿げた結論に至る。*7
本文注 *7: 「経済学批判」40ページ を見よ。そこで私は資本によって取り扱われる仕事のある部分について、以下の問題がいずれ解き明かされるであろうと述べた。「単純に労働時間によって決められる交換価値の基礎の上で、どのようにして、生産が、労働の交換価値がその生産物の交換価値よりも少ないと云う結論を導きだすのであろうか?」
このように我々は、ただ眺めるだけでは、6シリングの価値を作り出す労働が3シリングの価値を持つと云う馬鹿げた結論に至る。*7
→えーーーーーーー、でもそうじゃん
じっさいそうじゃん。
1万円の価値をつくってるのに、給料が5000円しか払われないのならば、
1万円の価値を作り出す労働が、5000円の価値を持つ、という結論に至るやん。
賃金労働においては、奴隷労働・全不払い労働とは逆に、剰余労働、不払い労働すらも支払い労働として現れる。奴隷労働においては、奴隷自身のための労働を所有関係が隠蔽している。賃金労働においては、賃金労働者の報酬なしの労働を貨幣関係が隠蔽している。
(13) それ故、労働力の価値と価格を、労働そのものの価値と価格を賃金形式に変換することが (訳者挿入: 資本家どもにとっては) 極めて重要であることを理解することになろう。この変換現象が、現実の関係を見えなくし、そしてそれどころかその関係を直接的に反対物として示す。そしてこれが、労働者に対する資本家の全法律的詐欺の基礎を形成する。資本主義的生産様式を全面的に神聖化する基礎を形成する。自由に関する全ての勘違いの基礎を形成する。俗流経済学のあることないことのふざけた言い逃れの基礎を形成する。
あー、マルクス自身もそこを突っ込んでるんかな。
「必要以上にあなた働いてるにも関わらず、相応の給料をもらっていないことにあなた気がついていないでしょ!!??」みたいな感じなのかな。
・・・一度ご飯食べに行ってきました。
食べてる時思ってたんですけど、あれかな。
これまでの経済学者って「賃金はどのように決められるのか?」っていう問題に考えて出してきたが、
マルクスは「いやいやいや笑。そうじゃないでしょ笑。これは労働力がお金に形態変化してるから、本当の価値みたいなものが隠されているんですよ。まずそこを暴かなくちゃ。そこに気がつかず、あーだこーだ理論を述べても意味なくないですか?」っていってるんかなぁ。
めっちゃ話変わるんだけど、
マルクスの記事書いて目がギンギンのニートが経済ドヤ顔で語ってる俺草
今日は99pでおわりでいいや。
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