巨大キムチボックスに込められた韓国の情②

 前回の投稿では、私たちの韓国帰国前日にオモニムが巨大キムチボックスを「これを持ち帰りなさい」と取り出し、ワイプが激怒したところまで書きました。ワイプと私は荷物が増えることを嫌い、極力かさばるようなものは買わないようにしたり気を使ってきたのですが、巨大キムチボックスの登場は予想できませんでした。ワイプが怒ったのも理解できることなのですが、オモニムは仕事に戻らなくてはならず、その場で十分な会話はできませんでした。
 その日の夜、オモニムが食堂の仕事を終え帰宅すると、ワイプはオモニムに話しかけました。さっきは急に怒ってしまって申し訳ない、今は冷静になったので謝りたい。ただ、事前にキムチの大きさの相談をしてほしかった、自分たちの事情も考えてほしかった、と伝えました。するとオモニムは悲しそうな顔をしてこう答えました。
 「それは申し訳なかった。だけど、私の気持ちも聞いてほしい。まず、普段ものを欲しがらないサウィ(婿、私のことです)のおじいさまが何かを欲しがるなんて、めったにないことであって、それほど本番のキムチに期待しているのだろう。その期待に応えたいし、本番のキムチを是非おいしく召し上がってほしい。直接漬けたキムチは、小分けにせず、漬けたときの容器から動かすことなくそのまま取り出した時が一番おいしい。うちのキムチは、白菜1つ1つに丁寧にヤンニョムを塗り込み、きれいにキムチボックスの中に並べてある。この美しい状態で、ぜひお届けしたかった。そうすれば、おいしいキムチが思う存分食べられる。これが私たちの気持ちだ。また、キムチボックスはきれいに拭いて、においも漏れないように覆いもしてある。お前が悪くみられないように、気を付けたつもりなんだ。」

 オモニムのストレートな気持ちを、ワイプと私は聞きました。ワイプは、それを先に言ってほしかった、こんなに大きいもの、どうやって運ぶのよと笑いながら言いました。結局、トランクを1つ追加して、その中にキムチボックスを入れて持ち帰ることにしました。

 オモニムの気持ちは、それはまっすぐな思いやりでした。相手に喜んでほしいという強い思いでした。私は、ここまで純粋な思いやりを日本で見聞きしたことがないように思います。
 私だったら、大きなキムチボックスをどのように持ち帰るかもそうですし、高齢の祖父が15リットルのキムチボックスをどのように扱うかが気になってしまいます。おそらく持ち上げることもできませんし、食べきれるかもわかりません。しかし、運ぶのは頑張って運べばなんとかなるし、キムチボックスは家族が持ち上げ、家族で分けて食べればいいのです。そんなことは、あとでどうにでもなるのです。つまり、キムチボックスを祖父に届けること、取り出したてのおいしさを味わってもらうこと、この一点を望む気持ちでした。

 オモニムに限らず、韓国の情というのは、こうしたまっすぐな思いやり、時には相手のことを考えていないのではとも感じられる純粋さが特徴だと思います。こうした思いやりのことを情と呼ぶのだと思います。
 私も当初、韓国人の情とは、時に押しつけがましく、負担に感じることもありました。こっちのことなんて考えてないのではと不満に思うことさえありました。しかし、そのような受け止め方はおそらく正しくないのです。こちらのことを考えているかどうかは気にせず、思いやりの核の部分を受け止めるのです。その思いの温かさ、深さに触れることができれば、多少の不便があってもありがたいと思えるはずです(それでも負担な部分があれば、無理はしなくていいと思います)。
 情の温かみと深みを感じるとき、これが韓国の方とのかかわりにおける醍醐味ではないでしょうか。こうした情をいただいたときは、日本式の思いやりに少しだけ韓国式の情をまぶしてお返しすると、よい関係が長く続けられるのだと思います。

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