chango
日々のふとしたときのオノマトペをつれづれと
オノマトペを題材にした詩のようなエッセイです
今日の夕飯は麻婆豆腐のはずだった。 でも引き出しの隅っこに 使い残しのマロニーちゃんを見つけてしまった。 マロニーちゃんが好きだ。 マロニーじゃなくマロニーちゃん。 ゆがいて、豆腐の代わりにたっぷり入れる。 ついでにエノキもたっぷり。 どんぶりにちょっぴりご飯を入れて、 とろんとした麻婆春雨を おたま二杯分かけてワシワシ食べる。 ずるずると音を立てて食べるのは 行儀がいいとはいえないが マロニーちゃんだからしょうがない。 豆板醤をきかせて辛くしたので 一心不乱に食べていると汗
大みそかは、おばあちゃんの家で 紅白のあとにゆく年くる年を見ることが決まりでした ごおおんという音を聴きながら なんでこんな番組が面白いんだろうと思っていました おばあちゃんがいなくなって 家族だけで過ごすようになって そのうち友達と初詣にいくからと 家族で年を越さなくなって 結婚して夫婦二人で過ごし 子どもの寝顔を見ながら過ごし 子どもたちもバイトをしたり誰かと過ごすようになりました 今年は一人でジルベスターを見ながらカウントダウンをして 年老いた両親に電話をし子どもたちに
急に日が暮れるのが早くなった気がします 外で遊ぶ子どもたちに帰る時間をつげる 「からすの子」が流れる時間もだいぶ早いです 今年は例年より暖かくて、 (いや、異常に暑かったから) ビールが飲みたい日が多かったのだけど 急に冷え込んでしまったので 焼酎のお湯割りが嬉しいです お酒を覚えたばかりの時は ビールは苦いし、焼酎は癖があるしと カルーアミルクやカシスオレンジなんて かわいらしいものばかりだったのに 気がついたら芋焼酎のお湯割りなんて飲んでいます。 あっついお湯割りをちびち
馬鈴薯 薩摩芋 里芋 栗 南京 銀杏 ほくほくするものが好きです 栗鼠のようにちっちゃく齧るのも楽しいけど 河馬のように大きな口で頬張りたい ちゃんとおいしいを感じられる幸せ 秋を口いっぱい味わう幸せ 辞書で調べると ほくほくはあたたかくてやわらかいことらしいです もう一つの意味は うれしさを隠しきれない様子だそうです。 ほくほくするお芋を食べると 口の中がうれしくって 顔がにやけるからぴったりだと思います 泣きたいときでもお腹は空くから ほくほくするものを食べたらいいと思
秋桜(あきざくら)は9月の季語だそうです。 秋桜がコスモスのことだと知ったのは 山口百恵の歌でした。 小学生か幼稚園かそんな頃 意味は全然わからなったけど コスモスがゆれるのが なんとなく切ないイメージだったことを 覚えています 最近はお花畑の名所も多く 一面に咲き誇るさまは それはそれは絶景だと思います。 でも、わたしは道端でゆらゆらゆれる その薄紅色の花が儚げで寂しげで 心惹かれるのです そういえば秋桜をコスモスと呼ぶのは あの歌からだそうです。 コスモスが秋桜になるだけ
8月になると陽射しがじりじりと肌を射し痛いくらい 暑い暑いとつい口にしてしまいます 暑いというとよけい暑いので 他の国の言葉でいってみます(今日はとても暑いです) イタリア語では Oggi fa molto caldo. フィンランド語ではTänään on todella kuuma. スワヒリ語ではLeo ni joto sana. ハンガリー語では Ma nagyon meleg van. ラテン語ではHodie valde calidum est. なんとなく和らいだ
子どもの頃、日曜日や夏休みのお昼はたいてい冷たい麺でした 氷と水を入れた大きな丼の中の麺があっという間に減っていきます 茹ですぎたのか、残ってタッパーに入れて冷蔵庫に入れて ちょっともそっとした冷や麦を次の日の昼に母が食べるのを見て 茹でたてのほうがおいしいのに なんでそんなものを食べるのだろうと思っていました それが母の愛だと知ったのは自分が母になってから こどもたちがちゅるちゅるとすする音を聞きながら 固まった麺を麺つゆでほぐしながら もぐもぐと噛むように食べるのは 愛で
雨降る日が憂鬱だと思い始めたのは いつからでしょうか 小さな子供だった頃は小さなモモちゃんのように あめがこんこん降ってほしかった 傘にぱつぱつ当たる雨音が 演奏会のように楽しくってくるくる回したり傾けたり 水たまりを長ぐつはいてみずがはいて気持ち悪いのも楽しくって なんどもばちゃばちゃ行ったり来たりしていたのに いまはちょっと濡れるのもウットオシイ 地球温暖化のせいなのか、からっからの日と ザーザー降る日ばかりになってしまった 梅雨はまだあるのでしょうか 大きくなった私は
22歳まで北海道に住んでいて 大学のサークルではゴールデンウィークに キャンパス内の広場で ジンギスカンをするのが恒例でした 北海道の桜は葉桜で、 新緑と淡いピンクを愛でながら 肉をジュージュー焼いていました 緑の木々の中ではらはらと舞う花びらは おしゃべりを止めるくらいきれいでした 就職して東京に来てから 桜は花が先に咲くと知りました。 桜色と色に名前がつくのにふさわしい ピンクだけの桜に目を奪われました あれから30年の間 名所の桜をいろいろ見てきたけれど 羊肉の焦げる匂
初めての学校にいったり 新しい勉強をしたり 新しい先生や友達に出会えたり 初めて給食当番をしたり 初めての会社に行ったり 新しい部署に行ったり 難しいプロジェクトがはじまったり 合コンやバイト、歓送迎会etc. わくわくすることも多いけど どきどきすることも多いです 春になって芽吹く草花も 真っ暗な土の中から飛び出す日を どきどきしながら待っているのでしょうか わたしたちがお花見の予定を立てたりして 開花を待ち侘びる桜の花たちは 蕾を広げるチャンスを どきどきしながら伺ってい
起立 礼 着席 当番が掛け声をかけると ガタガタと椅子を鳴らして 子供たちが立ち上がります 担任が黒板に向かいます いつもはおしゃべりをする子たちも 今日は真剣に前を見ています いつもよりピンと背筋を伸ばして 先生の話を一言も漏らさぬように 耳を傾けています 成長した姿に胸が熱くなる親たち 希望に溢れた子どもたち 「これで最後のホームルームを終わります」 今日で小学生は終わり 4月からは中学生です ガタガタと音を立てて 子供達がまた立ち上がります そしてガラガラと教室のドアを
朝起きて窓を開けて空気を入れ替えます 透明な空気がきーんと痛いです 外は日差しが明るいのでだまされます 置きっぱなしの洗濯物がちょっと湿っています カーテンを開けてみないと 窓を開けてみないと 外の空気はわかりません 部屋に一人いて パソコンの前にずっと座って にごった空気の中でぬくぬくして にごった思考でぱんぱんのあたまは きーんとした空気の一刺しで 透明な空気に少しずつ入れ替わるのです 冬眠するくまのようなあなぐらは とてもここちがいいのだけど わたしは人間だから 春夏秋
新しい一年が始まりました。 まだまだまっさらな年。 今年はいい年でありますように 今年もいい年でありますように あなたがしあわせでありますように わたしもしあわせでいいですか? わくわくすることをしましょう なににわくわくするのかわかりますか? 一年の計は元旦にあり 笑う門には福来る おおきなおにぎりほおばったり サンシャイン水族館にコツメカワウソみにいったり 去年は宮ケ瀬ダムのイルミネーション見なかったな すきなこと、きらいなこと いくつになってもわからない こころうごくこ
たべる ただたべる くらいあなに のみこむ たべる ぽっかりあいた こころにぎっちりと つめる すきまがなくなるように つめる ひとのまえでわらって とてもじょうずにわらって たべる ひえたゆびのさきがあったかくなるように こころとたべものがまぜこぜになる そしてなく ひとりなく なみだでからだのすいぶんがなくなって ないてつかれてへとへとになって もうたべなくてもすむように あわい、きたい からだのこえをききたい こころのこえをききたい きょうもたべる
わたしは選ぶ どこかの学校の研究によると 人は1日35,000回決断しているらしい 選ぶ、決める 毎日毎日35,000回 起きようか、まだ寝ようか 電気を付けるか 今日は何食べるか 電車間に合わなそうだから走ろうか それとも一本遅らせようか 生きている限り いろんなことを選んで 選んだ結果 今がある やる、やらない 決めるのは自分 続ける、やめる 諦める 無理する 頑張る 話す 話さない 聞く 聞かない 自分で調べる 人に聞く 親の言うことを聞く 自分の好
ことばはごはん ことばはおやつ ことばはおこた ことばは栄養ドリンク ことばははさみ ことばはほうちょう ことばはせっちゃくざい ことばはふかふかの布団 ことばでうれしくなって ことばでかなしくなって ことばでどきどきして ことばでたのしくなって ことばでぐっときて ことばでいらっとする わたしのことばとあなたのことば おんなじことばなのに温度がちがって さみしくなったり あせったり おんなじわたしのことばなのに あたまがしゃべったり こころがしゃべったり こころの皮を