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「月」は捨てなくていい、あるだけでいい。と伝えたい〜「月欠損論」の背景考察と私の解釈〜【占星術】

暫くぶりです。

昨日、前職時代から仲良くしてくれているフリーランス仲間の先輩と新宿でブランチしてきました。


その時に、話題に出たので例の理論について私なりの考察や解釈をここに書き留めていきたいと思います。(7000文字あります・・・ご注意を)


発端は、先輩が塾生と知った瞬間の様子から


かれこれ2時間半くらい話し込んでいて(9割占星術ネタ)、お互い次の予定の時間があるので「残り30分くらいかな〜」って頃。

月星座の話になった時に、先輩がソワソワしていたのが印象的でした。


聞けば、マドモアゼル・愛先生の学習塾に入っていたようで、「月に関しては「欠損論」にひれ伏してる」とのこと。この理論は内容が内容だからなのか、かなり遠慮気味に先輩が話してくれました。


度々界隈で話題になるこの理論は、かなり賛否というか意見が割れる印象があって、激しい論争が今までも繰り広げられてきているイメージでした。


そもそも「月欠損論」とは


私も、もちろん大枠では存じ上げていて、理解していたつもりだったのですが改めて調べてみました。


月が示しているのはその人個人では決して得られない要素で、でも、それを純粋に自分だと思っているので必死でそうあろうと努力する。しかし、得ようともがけばもがくほど消耗する。

月星座は生まれた瞬間から7歳までの幼少期を担当します。

ここで、愛先生は

「月は自分自身で獲得したものではない」

「だから月は欠損であり、一生かけて追い続けても手に入らない」

このように提唱されています。


私は占星術を学び始めて、月星座の存在を知りました。そして、暫くしてからこの「欠損論」の存在を知りました。

みなさん比較的、この理論を初めて耳にした時は「ザワザワした」というふうにおっしゃる人が多いなと感じたのですが、とうの私はというと

「まあ…強烈は強烈だけど、わかる」

という感想でした(笑)


ただ、これ以上を今まで深掘りすることもありませんでした。

ですが、占星術に触れ始めてもうすぐ1年が経ちますし、今日はせっかくキッカケをもらった良い機会なのでここで自分の解釈も合わせてアウトプットしておきます。


「月欠損論」が誕生した背景を考察する


まず、私がこの話題を書こうと思った時に最初に考えついたことが「なぜこの理論に辿り着いたんだろうか?」ということでした。


ここはかなり私の乙女座火星(分析)と魚座金星(想像)が出ている気がします(笑)


そして、自分なりに調べて辿り着いた2つの考察があるので、今からお話しします。(※超絶個人的な想像による考察です)



【1】獅子座世代にとって足を引っ張るもの、それが「月」だった


愛先生は、1950年1月25日のお生まれです。世代天体の冥王星が獅子座にあった世代です。


この世代というのは、戦後間もない頃にお生まれになった方々です。

そして、1955年から1973年の高度経済成長期に子供時代を過ごします。


「24時間戦えますか?」

想像でしか言えませんが、この頃の子供たちはこの言葉を胸に毎日を戦い抜く父親を目の前で見て、育ってきたことと思います。

「太陽」は”父親像”を表します。そして獅子座の支配星は「太陽」です。


女性同士の親子関係(母と娘)がその後の未来に大きく影響するのと同じように、男性同士の親子関係(父と息子)もやはりその後の未来に大きく影響するものだと思います。

それが女性だと比較的、その影響が異性関係に出やすいですが
男性だと、それが「社会性」に大きく関わってきます。


男性にとって社会とは「生きるすべて」


社会でどれだけ活躍すできるか?が人生において一番大事な要素だからです。


私は時々、太陽と月について「男性性と女性性」と表現することがあります。太陽は「男性性」を表し、月は「女性性」を表します。


「24時間戦えますか?」

こんな働き詰めの父親を見て育った子供たちは、当然のように男性性が過剰になるでしょう。家族に、会社に、国に、自分の魂の全てを使うのです。

ですが、そんな彼らのおかげでこの日本は悲惨な戦後の舞台から復興を遂げました。


「女性性は受け取る力・共感力であり、男性性は与える力・行動力」と言いますが彼らはきっと、自分たちの「女性性」を否定してきたはずです。


なぜなら自らの「女性性」に構っていては一向に現実が前に進まないからです。


「あの頃はこうだった」
「あんなに辛かった」
「あれが欲しい・・・」


こんなことばかり言っていては前には進まないのは誰がみてもわかることだと思います。


そしてこの時代は、戦後の復興を目指す再起の時期。きっと”自分だけ受け取る”なんてことは簡単にはできなかったはずです。

そもそも、受け取れるもの自体が少なかったかもしれませんね。

「欲しがりません、勝つまでは」

男女問わずこの感覚が、まだまだあったことでしょう。むしろこの感覚があったからこそ「24時間戦えますか?」なんて言葉が生まれたのだと思います。


受け取りたいものを待ち続けていたら、飢えで苦しむことになる。生活がままならなくなる。

そんな父親像を見て育ってきた、価値観を得てきた獅子座世代にとって、何よりも大事なものは己の「太陽」=社会性と地位の獲得であり、その獲得の足を引っ張るものこそが女性性を表す「月」だったのかもしれません。


もちろん一括りに「この世代はこうである!」というのは危険すぎるのですが、それでもやっぱり冥王星「獅子座」世代ということで、この世代と「太陽」に対する意識の関係性は切っても切れないものがあるんじゃないかなって思います。


どこかで、「太陽は未来を表し、月は過去を表す」とみました。

愛先生含め、この世代の方々はとにかく太陽の獲得へ向かい続け、月=過去を捨てなければ戦後の再起復興、高度経済成長期の素晴らしさを味わうことはできなかったのかもしれません。



【2】世代的価値観による「ルナロジー」への牽制?


もう一つの考察は、上記の世代的な価値観の背景をもとに「ルナロジー」という考え方への牽制なのかな?という仮説も自分の中で生まれました。

牽制、というと聞こえは悪いですが・・・(苦笑)


2010年半ばごろから出てきた、占星術家のKeikoさんが提唱する月星座を基にした開運法です。

「月星座を利用して、内なる欲望を満たし幸運を引き寄せる」というもの。

特に、女性と月の関係は切っても切れません。ですが、愛先生の年代の方は自らの「女性性」に対して否定的であったでしょうから「ルナロジー」はどうしても理解されにくいのかなぁ、とは感じます。


そもそも「夢を叶える」「今の生活を変える」ためには太陽がすべてである、というのが獅子座世代のデフォルト価値観と私は考えています。


月欠損論は2019年ごろに発信されるようになったようです。

恐らくですが、(まだ私は占いやスピリチュアルには触れてない時期ですが)この前後ぐらいから”引き寄せ”なんて言葉は流行し始めたように思います。

書店で引き寄せ絡みの書籍や、「キラキラ起業」なんて言葉も流行り出した時期とちょうど被ります。

ですが、現実の世界をひたすらに生きてきたこの世代の方々に、“「願って引き寄せ」だなんてそんな甘い話なんぞない!”ってことなのでしょう。


愛先生は、月牡羊座ですから月にも男性性のエネルギーをお持ちです。


牡羊座は行動してなんぼ!ですから、月に祈っている場合ではない=受け取るのを待つだけではダメなのだ、と言いたいのかなと感じました。



「月欠損論」に対する個人的解釈と対応方法


ここまでは愛先生がこの欠損論を唱えるようになった背景を想像で、ですが分析してみました。

ここからは私の解釈をお話したいと思います。


「月」そのものにはなんのパワーもない


これは決して、ルナロジーを否定しているわけではありません。


ですが物理的な月を見ればなんのパワーもないことは一目瞭然です。なぜなら「月は太陽の光がないと輝かない」からです。


ここで私の経験談を話したいと思います。


「片付けられない月乙女座」と「喋れない月双子座」


まず「片付けられない月乙女座」は私のことです。

そして「喋れない月双子座」は妹のことです。



なんか、乙女座といい双子座といい本来の意味が真っ向から否定された感じがして一人で勝手にじわじわくるのですがw


まず、私は幼少期から本当に本当に本当に片付けられない子でした。


お恥ずかしながらおもちゃや学校の教科書どころか、飲み掛けのペットボトルや鼻水かんだティッシュまでそのままにしてしまう始末。

当然、とっ散らかった部屋で過ごすわけですから忘れ物や失くし物は日常茶飯事でした。

そしてさらにタチが悪いのは、そうやって部屋を散らかすことは平気でやるくせに外の公衆トイレが汚く感じて使えなかったり、汚いものを触ったり見るのが本当にいやだったんですね。

通っていた小学校のトイレも使えませんでした。できる限り水など水分を取らないようにしていたし(学校の水道の蛇口も汚い感じがして使いたくなかった)掃除の時間の後の一番綺麗なトイレしか使えませんでした。


でも家に帰ったら部屋が散らかってて、鼻水ティッシュがその辺に落っこちてるなんて笑いますよねw


私はなぜか怒られる度に「やればできるんだから」と反論していました。

それはきっと学校や外の世界では、鼻水ティッシュを放置することなんてしてない(つもりだった)から”自分はできるはず”と思っていたんですよね。


けど、家じゃそれが幻想のように、まるで片付けができない。そしてそれを時間がない、宿題がある、疲れたからと言い訳してやらないできました。


そして中高生、大人になってもなおプライベートでは片付けができない「だらしがない女」であることに誰よりもコンプレックスを感じていました。

お付き合いする相手には「家事はやらないだけで、それなりにできるよ」なんて言って虚勢を張り。まあ身包みメッキが剥がされボロが出た分だけ、恋も終わって行きましたが。(笑)

今でこそ笑い話ですが、こう振り返ると酷いもんです。


反対に、妹はというと月双子座なのですが、幼稚園入ってもなお、言葉が遅くて障がいがあるのか?と母が心配するレベルでした。

なんとか、お医者さんの指導のもと会話ができるようになっても語彙が少なくて同じ言葉しか発しないとか、双子座のイメージとはまるでかけ離れたおとなしい妹でした

そして、自分の思いを上手に伝えられるだけの語彙がなかったがために、小学校に入学後は周囲のお友達と馴染めずに塞ぎ込むような状態でした。


こうしてみると本当にデフォルト=生まれたての状態では、月にはその星座のエネルギーは存在していないように感じるんですよね。


じゃあどうしたらいいのか?


「未熟な月」と「成熟した月」


答えは簡単で、自分の「月」=0歳〜7歳の頃の自分を振り返って「できてなかったところ」や「コンプレックスを引きずっていた部分」を認めて諦めることです。


・・・というと、欠損論の「月は捨てろ」と同じ意味になるので語弊がありそうですが、別に「月」は捨てなくていいのです。


傷ついてようが、欠損してようが、綺麗だろうが、「横に置いとく」イメージです。


私はよく「未熟な月」とかって表現をしたりするのですがこれは、この愛先生の欠損論に出会ってから言うようになった表現です。


私はこの「月欠損論」=「未熟な月の状態」としているんだな、って解釈したからです。

愛先生の場合はこのまま「捨ててしまえ!」といかにも強烈なメッセージを伝えていらっしゃるのですが、私は捨てる必要はないと思っています。


というか、捨てることはしないでほしい(笑)

なぜなら、月を否定することは女性性の否定につながるからです。
そして、女性性を否定することは私たちの「生命」を否定することになるからです。


あくまで、男性性も女性性もエネルギーでしかないので使い方次第だなって思います。


話がそれましたが、「未熟な月の状態」とはなんなのか?というと新月です。


新月は太陽と重なっておきますが、光が全くないので夜空を見上げても新月の日は月の存在を確認できません。


この状態こそが、

「だから月は欠損であり、一生かけて追い続けても手に入らない」

に繋がってくるのだと思います。目には見えない「実態がない」からです。「目には見えないもの」を獲得するのは、物理的にも不可能ですよね。


きっと愛先生も、この「実態がない」という性質から月を獲得しようとするのは時間の無駄で挫折をする、ということを伝えたかったのでしょう。


反対に、「成熟した月」というのは満月の状態で、太陽の光をたくさん吸収し光っているのです。実態として目に見えますし、人々は大きな丸い月を見て「綺麗」といいます。


「太陽の獲得」を頑張ったら勝手に「月が成熟した」話


だから、私は月を放っておいて太陽目指せば自然と月は輝くし、欠損ではなくなるよと伝えたいのです。


それこそ先述しました「片付けられない月乙女座」の私ですが、人生の方向性を太陽=自己理解、社会性の獲得に舵を切ったらあっさりと片付けができるようになりました。


何か特別なことはしていません。太陽=男性性を磨くようにしただけです。


それに、太陽期は始まったばかりですし、完全に太陽を獲得できたかというと全くそうではないと思っています。


ですが、まず片付け苦手なことを受け入れて、そんな自分を諦めました。これができないと前に進まないのですが、なぜできないかというと「執着」しているから。

もちろんそれは、幻想かもしれないし、本当はやればできるのかもしれない。わからない。

ただし事実として、未熟な月=新月は実態を伴わない、目には見えないとするのであれば「目に見えないものに執着を続けるのは確かに時間の無駄」だからです。


月をインナーチャイルドに喩えたりしますが、まさにその感覚が大事になるのかなって思います。


月が未熟な状態だと、目には見えないからこそ「できるはず」だとか「できなくてはいけない」とかさまざまな不要な価値観(それこそ幻想)を自分に貼り付けがちです。


でも、太陽がないと輝けない以上、そのままでは一生輝くこともできません。輝いてくれなければ獲得することなんて当然できないのです。

ならば一旦横において、太陽の方向に舵を切るのです。占星術で例えるなら、ICを出てMCに向かって歩いてくイメージ(?)


一歩だけ月から離れてみる、一歩だけ太陽に近づいてみる。それだけで一気に月が光を吸収するようになっていくと思います。


「月」は他の天体のエネルギーを“奪っている”わけではない


「吸収」と打って、欠損論のもう一つの論点を思い出しました。

月は他の天体のエネルギーを吸収し奪うので、基本的に人に良い影響を与えることはない

というもの。私はYES/NOどちらも正解だし、どちらも不正解かなって感じています。


理由は、月が女性性を表すのなら月=女性性の象徴は「受け取る力」だからです。

愛先生の提唱するこの考えは、ある意味“結果論”だと思っていて実際のところは「奪う」と「受け取る」は紙一重だなって思うんです。


月は幼少期を担当し、無意識の象徴です。月は本来ピュアな子供。だからただ「受け取りたい」だけなんだと思います。「もっと!もっと!」って。

月自身に悪気は一切ないし、純粋に欲しがっているだけ。

だけれど、そんな未熟なまま月の獲得を大人になっても頑張っていると、太陽を獲得し始めた人からは「テイカー=奪う人」とみなされてしまうのかも知れません。


余談ですが・・・


私は小学生の頃から歌手の倖田來未さんが好きだったのですが、彼女の2006年リリースのアルバム曲の中に「月と太陽」という曲があります。

当時は聞くたびに「こんな恋愛がした〜い♡」と思っていましたが、太陽の獲得を始めた今の私がこの歌詞をみるとザワザワします。


あなたは太陽 私は月
太陽の笑顔がこぼれるたび 月は輝く
今では考えられない あなたのいない場所なんて
これからも包み込んでほしい

「月と太陽」/ 倖田來未

太陽のように笑顔が眩しい優しい男性とお付き合いする女性を「月と太陽」で表現した曲です。

当時は、もちろんピュアな気持ちでこの月に例えられた女性を羨ましく思ったものです。

ですが、この感覚で実際に大人になって恋愛して、男性とお付き合いしてもあんまり長続きはしません(苦笑)

ここからも月は「子供」=純粋性であることがよくわかるなぁと感じました。


【まとめ】太陽が輝けば、月は欠損じゃなくなるので捨てる必要はない


ここまで長々と書いてきましたが、決して月を捨てる必要はありません。太陽の方向に人生の舵を切れば、自然と月は育ち満たされて実態を伴う「目に見える状態」になっていきます。

そして月は「無意識」の象徴ですから、太陽から光を受け取れたら勝手に月星座の要素の獲得は出来ているはずです。

そうすれば、月の本来のピュアリティだったり、受け取る力、共感力を持って男性性との正しいエネルギー循環が自分自身の中でも、対人関係においてもおきてくるのでは?と考えています。


長々と、お付き合いありがとうございました。太陽、獲得していきましょう〜!


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