パンサー尾形と日本の学校教育
水曜日のダウンタウンでとんでもない企画をやっていた。
深い落とし穴に落とされ、長時間放置されると人間は正気じゃいられなくなる説の実証実験だ。
人権無視の内容に、出演者は告訴してもおかしくないなと思いながら見ていた。
山中に掘られた穴の中にはゴキブリ、カエルが多数はびこり、蚊や蜂なども出る。
案の定、出演者たちは正気でいられなくなる。怒り出す者、泣き出す者、叫び出す者、祈る者。。。一様に正気でいられなくなっていく。
その中で唯一最後まで脱出を試みる漢がいた。
パンサー尾形である。
着ていたシャツ、パンツ、ヘルメットなどを繋ぎ合わせ地上に投げる。
一度や二度では上手くいかず数十回のトライを続け、ようやく地上に張られていた虎ロープに引っ掛かる。
それを伝って登ろうとするが引っ掛かりが外れてしまう。
そこでまた引っ掛かるまで投げ続ける。
虎ロープが固定され登り始めるが、足が滑り上手くいかない。何度も挑戦しているうちに、地上の木に結ばれていた虎ロープが解けてしまう。
虎ロープを手に茫然とする尾形。
しかし、彼はまだ諦めない。諦めないどころか「虎ロープが手に入ったと考えよう」と前向きに捉える。
そして今度は虎ロープにヘルメットを括り付け、地上に放り投げる。
放り投げること数十回。今度は硬く固定されたワイヤーに引っ掛かる。
ヘルメットの遠心力を使い、ワイヤーと虎ロープを絡ませて固定すると、登り始める。
しかし、彼の手のひらや足の裏は何度もロープを登るチャレンジをして擦り切れ激しい痛みが走り、思うように力を入れられない。
それでも彼は諦めない。
今度はズボンのチャックをマイナスドライバーがわりに使い、落とし穴の内部にあった金属部品のネジを抜く。
そのネジをナイフがわりに使用して、油分でヌルヌルの壁面の布材を切り裂いた。
剥き出しになった発泡スチロールをくり抜き、手や足をかけられるように工夫。
ワイヤーに固定された虎ロープと発泡スチロールをくり抜いた足場に力点を分散して痛みを最小限に抑え、何度もチャレンジする。
地上に片手はかかるが後一歩のところで落下してしまう。
やがて最悪の事態が。
虎ロープを固定していたワイヤーも外れてしまう。
もうここで心も折れて諦めてしまうと思った。
もう十分やったよ。努力したよ。ここで諦めて当然。スタッフは早くネタばらししなよ。
しかし漢は諦めなかった。最後の力を振り絞って発泡スチロールの緩い足場を使って、見事に登り切ったのだ。
この企画自体は酷い。人権無視、倫理観無視、コンプライアンスは、どうのこうの。頭の中を巡った。
しかし頭ではコンプラがどうのこうのとなっていたが、心は熱く震えていた。
「これ面白くなるんすか」
ネタばらし後のこの一言にも芸人魂が沁みてくる。
この企画の賛否はいったん横に置いておいて、日本の学校教育との差について思いが巡った。
日本の学習指導要領では、3つの能力の育成をその目標に掲げている。
すなわち、学びに向かう力、思考・判断・表現力、知識・技能の3つである。
今回のパンサー尾形の奮闘には、この3つの力の全てが凝縮されていた。
劣悪な環境で水分も取れない中でも諦めず何度もチャレンジする点(学びに向かう力)、試行錯誤を繰り返して脱出方法を考え試みた点(思考・判断・表現力)、脱出方法を考えるための基礎知識と体力があった点(知識・技能)。
日本の学校教育が目指す全てが詰まっていたし、正直オリンピックより感動した。
もちろんこんなこと日本の学校では絶対にできないし、させてはいけない。やったら即全国ニュースになる。
しかし、安全にぬくぬくと守られすぎた学校教育の現場で、この3つの能力を伸ばすことは甚だ容易ではない。
いかに安全に危険を経験させるか。
この矛盾を作り出すことは、今の日本の学校教育にはハードルが高過ぎる。
そんなの無理でしょ。少しでも危険を伴うことをやろうとすると教育委員会が、保護者が、管理職が黙ってないでしょ。
こんなとき、「簡単に諦めたらダメだよ」と奮い立たせてくれる漢がいるとすれば。
それはパンサー尾形のような不屈の魂をもった人物に他ならないのではなかろうか。