藤井風さんがすごい。

タイトルのとおりである。

藤井風さんがすごい。

思いの丈が有り余って抑え切れなくなりそうなので書くことにする。笑

私が藤井風さんを初めて知ったのはテレビ「関ジャム」だ。
次に来るアーティストの話題で曲を知って感動を覚え、出身地にもシンパシーを感じた。

当たり前だが、素人の私に曲作りはわからない。
でも、良いのだ。曲が。

とくにその歌詞。そして歌詞の下敷きになっている世界観、価値観について語りたい。

「帰ろう」という曲がある。その中で死は元に、元の世界に帰るだけだという。
自然とともにあるような死生観に思わず頭を殴られような衝撃を感じた。

私は死にたくない。
まだまだ楽しいことがしたいから、というより痛そうで辛そうでよくわからない死が怖いからだ。

でも、この曲はそんな思いも温かく包み込むような包容力で「帰る」だけなのだという。
23?の青年が語る世界観、死生観ではない。(非常に良い意味で)

こうした下敷きになっている世界観には里庄という田舎の価値観も反映されているのだろう。

藤井風さんの発言や歌詞には「利己」というより「利他」を感じる。いわゆる他者への配慮や思いやりだ。

脱線するが、田舎は昔から地域の中での支え合いがないと生きていけない。
例えばうちの祖母の場合、今より60年ほど前までは産院が近くになく、移動手段のない場合は地域の女たちで産気付いた妊婦から子供を協力して取り上げていたそうだ。

都会では他者とのつながりが薄く、他人に頼らずともお金さえあれば極端な話、生きていける。
だが、田舎はそうではない。

そうした田舎の良いところだけをうまーく取り込んで自分の中で発酵、熟成させて、
「あそぶとこねーし不便じゃし、大人になったら田舎を捨てて出ていってやる!」とよくある都会かぶれ?になりそうな方向に行かず、故郷への愛着を上手に自分の誇りとして保てているところがすごいのだ。

曲作りの才能云々もあるだろうが、こうした下敷きとなる過去をないものとせず、柔軟で優しく包み込み今へと繋げる「個性」が彼の魅力を一層引き立てているのだろう。

にわかファンが語ったところで「は?」と古参のファンの方は思うかもしれないが、このにわかでもこんなに思いの丈があふれるほどの吸引力を藤井風さんは持っているのだ。

もはやダイソンだ!!!!(落ち着け)

コロナが落ち着いて子育ても落ち着きかけたら、ぜひとも生のライブで音に酔いしれてみたいものである。

それを楽しみにかーちゃんは今日も娘の階段上り遊びに付き合います。涙

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