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新サクラ大戦 倫敦華撃団 アーサーのルーツを考える

伯爵領の場所とは?

 今回は新サクラ大戦に登場する倫敦華撃団の団長、アーサーについて考えていこう。今回考えていくのは彼のルーツになる。より正確に言えば彼とその一族の住んでいるであろうカントリーハウスとその所領はどこになるのか、という点に焦点を当てて考えていく。

 イギリスの貴族、特に公爵から男爵にかけての5つの爵位いずれかを持つ人々であれば、自らの所有する所領にあるカントリーハウスと呼ばれる荘厳な屋敷に住んでいることが多い。有名どころであれば『ハリー・ポッター』シリーズの撮影地となったアニック・カースルや、『ダウントン・アビー』のロケ地となったハイクレア・カースルなどがある。

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※一枚目がアニック・カースル、二枚目がハイクレア・カースル。

 ではアーサーのルーツであるカントリーハウス、そしてそれの所在地である伯爵領はどこにあるのだろうか?
 今回は複数のアプローチからこの伯爵領の所在について考えてみたい。一つは歴史的な面から、もう一つは名前との関連性から考えていこう。

イングランド貴族という可能性

 以前にも軽く説明したが、イギリスの貴族は爵位が創設された時代に応じて5種類に分類することができる。

イングランド貴族(Peerage of England)
スコットランド貴族(Peerage of Scotland)
アイルランド貴族(Peerage of Ireland)
グレートブリテン貴族(Peerage of Great Britain)
連合王国貴族(Peerage of the United Kingdom)

 イングランド貴族が最も年次が上になり、時代が下るにつれて順序としては下がっていく。こうした順序に沿って考えていくと、アーサーの家系はイングランド貴族という可能性が浮かび上がってくる。

 ポイントとなるのは設定資料集に記載されている「騎士の家系に生まれた貴族」という一文になる。現代においては騎士の称号である「ナイト」は名誉称号と化している。この称号は文化や芸術、はたまたスポーツといった各分野で目覚ましい活躍を遂げた人物に対し、イギリスの首相などからの推薦によって国王が授与を行う。実際に授与された人々を見ても、俳優やスポーツ選手、企業の社長など実に様々な人々がナイトになっている。
 このようにナイトの称号は個人の名誉を示す称号であるのだが、その順序としては貴族よりも下になる。さらに規定された法定推定相続人に爵位が継承される世襲貴族と異なり、ナイトの称号は授与されたその人一代のみとなっている。こうしたことを踏まえても近現代の貴族であれば名誉称号とはいえ、すでに持っている爵位よりも下のナイトの称号を尊ぶ必要性があまりないといえる。
 しかしアーサーの家系はナイトの称号、そして騎士であることを誇りとしていることがうかがえる。ここから考えればナイトの称号が名誉称号となる以前の時代、つまり騎士が実際に活躍していた時代にナイトの称号を授与され、それを代々誇りとして受け継いできたと考えられる。そうなればアーサーの家系は近世や近現代よりさらに前、中世には存在していた可能性が出てくる。
 このため上記に示したイギリス貴族の分類のうち、1707年の合同法によって成立したグレートブリテン貴族と連合王国貴族は除外できる。さらにこれはのちの話にも関連するが、「アーサー」という称号の持つ意味合いから考えればスコットランド貴族やアイルランド貴族も除外できる。歴史のあるこれら二つの貴族のいずれかとすれば、イングランドを中心に活躍していたアーサー王の名を名乗る関係性はあまり見受けられない。アーサー王は伝説上では現在のイギリスとノルウェー、フランスの一部を有した大帝国を建設した人物とされており、より深く検討を重ねれば繋がりが出る可能性もあるが、今回はより簡易にイングランドに限って検討を進める。

 さて現在残っているイングランド貴族のうち、伯爵家は24家ある。ではこのうちのどこが可能性として考えられるか?という話になるが、困ったことにこれ以上断定しうるキーワードやヒントが出てこないのである。歴史的なアプローチとしては恐らくイングランド貴族であり、現存している24家が可能性として考えられるというのが現状になる。仮に範囲を変えてスコットランドやアイルランドを検討したとしても、ある程度の範囲は限られても断定できるほどのものはない。さらに言えば先ほど挙げた24家はあくまで21世紀に現存している家系である。新サクラ大戦の舞台である1940年代や、アーサーの生まれた1920年代にまでさかのぼるとさらに範囲は広がる。以前の記事でイギリス貴族の衰退に関しては少し触れたが、彼らが大幅に衰退したのは第一次大戦の後であって、1920年代や1940年代まで検討の範囲を広めると可能性は24家にはとどまらない。よって歴史からアーサーの家系を考えれば、現状ではおそらくイングランド貴族ではないか?というざっくりとして根拠も微妙な程度でしか考えることは難しいということになる。

「アーサー」という称号の意味

 では二つ目のアプローチである名前との関連性ではどうだろうか?
 そもそもの話になるが、何故「アーサー」という称号を使っているのだろうという話になる。貴族であろうがなんだろうが何の脈絡もなしに「アーサー」という称号を生み出して使用していれば非常に奇妙になる。称号であろうとそれを生み出して使用する上では何らかの由来や繋がりがなければ、その称号自体にはあまり意味を持たない。パッと思いついた名前をありがたく子子孫孫と受け継ぎました、ではいくらなんでもおかしいという話になる。
 それでは「アーサー」の名はどこから来たのか?由来を考える上では複数の可能性が考えられる

・所領がアーサー王ゆかりの場所にある
・勇猛果敢な活躍がアーサー王に例えられた
・先祖にアーサー王、もしくは関連する人物がいた

考えられる可能性としては以上のようなものがあるが、このうち三つめの先祖説は少し無理のある話になってしまう。というのも伝説としてのアーサー王は広く語り継がれていても、史実としてアーサー王は実在したかが依然として議論の分かれる部分になっている。資料の乏しさゆえに実在を証明することが難しい状況にあり、由来をそこに求めるのは困難だ。こうした状況で先祖がアーサー王だと主張するのはさすがに根拠に乏しく、信ぴょう性には欠けることになってしまう。

 ではまずゆかりの場所説について考えてみよう。アーサー王伝説の舞台となったとされるのはイングランド南西部のコーンウォール地方だ。

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 この地方に伯爵領を持つ家系で、アーサー王伝説との関連性から推定法定相続人の称号として「アーサー」が用いられた可能性はある。ただしこの場合としてもアーサー王伝説から名前をとるのは少々理由としては弱い。というのも所領がこの地方であればアーサーを名前に付けるのにあやかるのはともかく、わざわざ称号の一つとして代々受け継ぐには関連性がそこまで強くない。あくまで伝説があることを前提としつつ、後世にそこからあやかって称号を生み出すには十分とはいいがたいだろう。仮にこの説をとって考えるにしても、言えることはアーサーとその一族の所領はコーンウォールのほうにあるかもしれないというぼんやりとしたことしかわからない。

 では二つ目の勇猛果敢説はどうだろうか?この場合ではアーサーの先祖である誰かが騎士として活躍し、その勇敢さや活躍がアーサー王伝説に例えられ、その勇猛果敢さに敬意を表してアーサーと呼ばれた、もしくは称号としてアーサーを使用するようになったというケースだ。
 ヨーロッパにおける中世も長いが、その中でアーサー王物語を含む騎士道物語が流行ったのは11世紀ごろからになる。その中でアーサー王物語が流行していったのは12世紀から13世紀ごろと考えられ、この時期に行われた戦闘や戦争において勇猛さを見せた伯爵がいたのではないだろうか。この時代では十字軍が盛んにおこなわれていた時期であり、イングランドはフランスのフィリップ2世と争っていた時期にもなる。こうした時代の中で名誉と勇敢さの証としてアーサーという称号が生まれ、それが代々剣とともに受け継がれていったという可能性はある。

 ただここまで読んでもらってわかったろうが、これでは「アーサー」という称号の由来については考えられても、その所領がどこにあるかなんてさっぱりわからないのである。コーンウォールに限る必要はまったくなく、ロンドンのほうかもしれないしイングランド北部のほうかもしれない。いずれにしても所領がどこにあるかの可能性は検討のしようがない。
 アーサーの称号に関してもあくまで可能性の域を出ない。可能性というより創作に近いようなものであり、実際どうなるかは次回作以降のスタッフ次第でどうにでもなる部分だ。

アーサーのルーツはどこか?という問いの結論


結論:わからない


 長々と考えてきたが、結局のところさっぱりわからない。ヒントらしいヒントもないし、情報らしいものもこれと言ってないんだからどうにもならない。
 結局のところ考察というより創作の域を出ないが、いずれにしても現在の情報量の少なさは如何ともしがたい。どうにかならないものかと資料集としばらくにらめっこを続けたものの、わかったのはアーサーの頭につけている冠みたいなもののデザインは月桂樹の葉のようにみえるということくらいだった。

 それ以上のことは何とも言えないくらいにわからない。なんとかその辺考えられそうな情報が欲しいものだが、次回作とかスピンオフとか小説とかOVAとかグッズとか何かしら繋がりなりヒントの出そうなものがあったら嬉しい。というか出してほしい。

 非常にぼんやりとしたことしか言えないが、もしこれを見た人の中でイングランド中世史か中世イギリス文学に自信がある人がいたらぜひヒントなり何なり情報をもらいたい。

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