新サクラ大戦 倫敦華撃団団長 アーサーの設定と史実との比較
「設定」への注目
2019年12月に発売された『新サクラ大戦』
新花組の面々や上海、倫敦、伯林の3つの華撃団など様々なキャラクターがおり、それぞれに思い入れがあったり好きだという人もいるだろう。
かくいう私もクラリスが大好きだ。
しかしそんな中でも私が特に注目したいのは、倫敦華撃団団長のアーサーだ。彼に対してはその端正な容姿や立ち振る舞いの優雅さに惹かれたという人もいることと思う。
その一方で私が注目したい点はアーサーの「設定」にある。
設定資料集やコンプリートガイドに書かれているように、彼は騎士の家系である伯爵家に生まれたとある。
これだけ読めば大した話ではないとおもうかもしれない。ところが実際の歴史を見てみると、この「イギリスの伯爵家」、そして舞台である「1940年」という設定は全く違った意味を持つように見えてくる。
そこでアーサーの設定と実際の歴史におけるイギリス貴族を見比べてみて、どんな風に違うのかを考えてみよう!というのが今回のお話だ。
ちなみに純粋にアーサーが好きな人からすると割とどうでもいい話になる。考察やバックグラウンドの解釈が好きな人の書いた文章なのでそういう人がいるんだな、そういう見方があるんだなくらいに捉えてもらえればありがたい。
そもそも何がポイントか?
長い文章を読むのが嫌だという人も多い時代なのでめちゃくちゃざっくり結論を書くと
「史実だと1940年代には既にイギリス貴族は瀕死だったよ。その点アーサーってすげぇよな、この時代でもお金持ちで余裕たっぷりだもん。」
という感じになる。
今回はイギリスの貴族って何?という点から彼らがどのように衰退したかを概観していく。そうした上で新サクラ大戦の世界におけるイギリスの貴族とはどのように違うかを考えていこう。
イギリスの貴族って何?
本題に入る前に前提の前提から話しておく必要がある。めんどくさいって人は本題まで飛ばそう。
そもそもイギリスの貴族とは何か?ざっくばらんに言えば
「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵の爵位を持っている人々」
ということになる。これらは世襲称号として受け継がれており、現在のイギリスでもこうした爵位を持つ貴族が存在している。
ちなみにちょっと貴族について知っている人であれば、ほかにも「辺境伯」とか「準男爵」、「ナイト」は貴族じゃないの?と思うかもしれない。
「辺境伯」はヨーロッパの大陸側の称号でありイギリスにはなく、イギリスに実際にあるのは「準男爵」と「ナイト」の称号だ。しかしいずれも法的には貴族に分類されておらず、現代では名誉称号という側面が強いものになっている。なのでこの文章で貴族という単語が出てきたら上述の解釈をしてもらえれば問題ない。
あと「一代貴族」なんてものもある。この辺は上院改革や議会史の話になるのでここでは省略しよう。ここに議会史を求めてくる人は流石にいないはずだ。
こうした貴族たちは貴族院に議席を持ち、多くの屋敷や土地を所有して議会のないシーズンでは狩りや社交に勤しんでいた。
特に屋敷は主に二種類に分けられ、議会のないシーズンに過ごすカントリーハウスと、社交の時期、いわゆる「シーズン」滞在用議会開催中にロンドンに滞在するためのタウンハウスがあった。こうした屋敷は一つとは限らず、地方に複数のカントリーハウスを所有して移動したり別荘として利用したりしていた。
さらに単にイギリスの貴族といってもその分類は細やかだ。爵位が設立された時代に応じて分類することができ、上から
イングランド貴族(Peerage of England)
スコットランド貴族(Peerage of Scotland)
アイルランド貴族(Peerage of Ireland)
グレートブリテン貴族(Peerage of Great Britain)
連合王国貴族(Peerage of the United Kingdom)
に分類することができる。
こうした時代区分での分類がされているため、アーサーの家系がどこに当てはまるかを考えることもできる。ポイントは現代では名誉称号となっているナイトの称号、もとい騎士という存在を重要視している点だ。そうなるとアーサーの家系は近現代に設立されたグレートブリテン貴族・連合王国貴族ではなく、騎士が実際に戦場を駆け回っていた中世の時代に設立されたイングランド貴族の伯爵家では?などと考察できたりもする。
こうした区分はおおよそ1707年合同法まではイングランド・スコットランド・アイルランドの3つがあり、合同法でイングランドとスコットランドが一緒になってからはグレートブリテン貴族、1800年合同法でアイルランド王国とグレートブリテン王国が一緒になってからは連合王国貴族という感じになっている。厳密にいえば1800年合同法の後でも19世紀末くらいまでアイルランド貴族が設立されてたりするが、その辺は細かいので省略する。
実際のところ、この辺の分類はややこしい。スコットランド貴族についてはロード・オブ・パーラメントなんて爵位が子爵の下にあったりするし、その辺を話していると長くなるので気になった人は自分で調べてみよう。
こうした爵位は国王からの勅許状が与えられることで創設される。近現代では内閣からの推薦によって爵位が創設されている。17世紀ごろからは財政上の理由から爵位を売ることで国庫を潤していたこともあるし、さらに近代になれば叙爵理由は長年の公職奉仕や多額の寄付などの慈善活動などなど多岐にわたる。現在でもたくさんの貴族が存在するが、その多くは20世紀に入って設立された一代貴族であり、5つの爵位をそれぞれ持つ世襲貴族は1984年を最後に設立されていない。
このあたりからもわかるように、現代では昔々から長々と受け継がれた歴史ある家系というのはあまりなく、大抵は一代限りという期限付きで爵位が与えられた貴族が大半を占めている。
では何故歴史ある家柄の貴族家が少ないのか?その理由は相続方法にある。
さきほど述べたように、爵位を持つ貴族の設立は勅許状によって行われる。こうした勅許状には多くの場合、継承者を「直系の男子」と定めている。このため世襲するための男子がいない場合は爵位を相続できず、その爵位は停止状態となる。一部の例外を除けば女性が継承することはできないので、子孫に男子がいないまま当主が亡くなったりすると大変なのだ。そのため大きな戦争があって貴族の息子たちが亡くなったりすると貴族にとっては大きな問題となる。
ここで「貴族だったら息子を前線に出さずに後方で死なないようにさせたりしないの?」と思う人もいるかもしれない。ところがどっこいイギリスの貴族はノブレス・オブリージュの考えを強く持った人が多いのだ。「身分の高いものはそれに応じた責任を果たすべき」という考えと直系男子以外は爵位を相続できないというルールから、貴族家の次男、三男は医者や弁護士、はたまた軍人になって自らの役目を果たすわけだ。どっかの〇ールデンバウム王朝の貴族たちとはずいぶんな違いである。
長々と書いたところでイギリスの貴族についての説明はこのくらいになる。新サクラとあるのにアーサーのアの字もないじゃないかと思うかもしれないが、それはまぁそういうお話なので仕方がない。
イギリスにおける貴族の衰退
では1940年くらいにおけるイギリスの貴族はどうだったのか?これは冒頭にも軽く書いたが多くの貴族が没落していた。歴史ある家柄の貴族であっても屋敷を売り払ったり家財道具を売りに出すことでどうにかしようとすることもたびたびあった。
しかし何故イギリスの貴族は衰退したのか?これに関してはざっくりいえば
「相続税がヤバい」
だいたいこうなる。何よりの問題となったのは相続税をはじめとする税制改革だが、貴族の衰退自体は既に1880年代ごろから予兆があった。まずはこうした歴史の流れを順を追って確認していこう。
衰退のきっかけとなったのは1880年代に発生した農業不況だった。この原因は1846年の穀物法撤廃にある。この当時、主要な農作物の輸出国であったアメリカとロシアでは南北戦争とクリミア戦争による混乱の最中にあった。そのため穀物法撤廃によっても即座に安価な穀物が流入することにはならず、その影響が出始めるまでには時間がかかった。その影響が出始めた1880年代においては穀物価格が低下していき、農業不況の発生へとつながったのであった。
近現代に新しく設立された貴族家であれば実業家などもいたが、歴史ある貴族の家系では広大な土地を所有し、そこからの地代収入で生計を立てている家も多かった。そうした広大な土地で行われていた小作人を用いた農業は農業不況の影響を受け、地代収入の低下につながっていったのだった。
しかしこの農業不況は当時の貴族に対して致命的な影響を及ぼすには至らなかった。より大きな変化が起こったのは第一次世界大戦を迎えてからになる。
第一次世界大戦の結果、穀物価格の低下に限らず戦争による農業従事者の減少、賃金の高騰といった土地管理に関するコストの増加が立て続けに発生していった。このため土地の規模や状況によっては土地を所有していても利益どころか損失が増えることになっていってしまった。
さらには1894年に土地相続税が導入されて以降、20世紀初頭には所得税改革があり、さらに1914年と1919年には法改正によって借地農は保護されるようになった。つまり土地を売却するために借地農を立ち退かせるには補償が必要になったのだった。
こうした地代収入の低下・土地の管理コストの高騰・税制改革のトリプルパンチが貴族には致命傷となっていった。
例えば1919年には首相を輩出したことで知られるソールズベリー侯爵家がロンドンのアーリントン街にある屋敷を売却している。同年にはデヴォンシャー公爵家も厳しい状況になり、現在はショッピング街として知られるピカデリー街北側の屋敷を売り出した。デヴォンシャー公爵家はイギリスでも屈指の財産所有一族として知られていたため、彼らの衰退は驚きをもって迎えられた。イギリスの詩人であるジークフリード・サンスーン(Siegfried Sassoon,1886-1967)は「デヴォンシャー・ハウス解体に捧げる追悼詩」(Monody on the Demolition of Devonshire House)を書いているなど、貴族の屋敷売却による衝撃は文芸界にも影響を与えている。
第一次世界大戦後にはイギリスでこうした土地や家財、屋敷の売却といった貴族の衰退が相次いだ。1920年代には既にイギリスの貴族は大きな転機を迎えており、その勢いは止まらなかった。それどころか税制改革を中心に貴族は追い詰められていき、30年代や40年代には非常に厳しい状況へと追いやられていた。
1894年の税制改革で土地の相続に相続税が導入されて以降も相続税の税率は上がっていった。最高累進税率は1910年には100万ポンド以上の相続で15%だったものが、1919年には200万ポンド以上で40%、1930年には同額以上で50%、1940年には同額以上で65%、さらに1949年には100万ポンド以上で80%にまで上昇している。このような相続税の相次ぐ上昇は貴族の衰退に決定的な影響を与えた。第一次大戦後の戦間期から第二次大戦前後にかけて当主が亡くなり、相続税を払う必要に駆られた貴族家ではどのように税金を支払うかが問題だった。そのため所有していた美術品や土地、ついには屋敷そのものを売り払ってでも税金を払う必要に迫られていった。税金を払えても維持管理に多大なコストのかかる広大な屋敷を維持するのが困難になり、売却するかナショナル・トラストなどの歴史的建造物保護団体に譲り渡すことに繋がっていった。現在イギリスで見学できる壮大なカントリーハウスなどはこうした背景があったりする。
ここまで書いてきたように、イギリスにおいては貴族の衰退が1880年代から始まりつつあり、第一次世界大戦をはさんで1920年代にはかなり衰退に拍車がかかっていた。1940年代には戦後復興の予算のためなどで多額の税金をかけられることになり、貴族に限らず富裕層は相当厳しい状況になっていった。こうしたことからイギリスの貴族は衰退していったのであった。
結局何がすごいのか?
長々と書いてきたが本題はここからだ。前提の前提でイギリスの貴族について説明し、前提としてイギリスの貴族の衰退について書いてきた。そしてようやく本題に入れる。
要するに新サクラ大戦の世界の歴史で言えば1940年代でもイギリスの貴族がピンピンしていてめっちゃ元気にしているわけである。アーサーは古い貴族の家系だけどお金持ちだというし、アーサーとランスロットは大帝国ホテルに泊まっててものすごーーーくリッチなことが伝わってくる。
こうなってくると史実との対比がおもしろくって仕方ない。史実では上述のようにボロボロで見る影もなく、かつての栄華栄光はどこへやらという具合だ。ところが新サクラ大戦の世界では歌って踊って戦っての倫敦華撃団があり、しかもその団長を歴史ある貴族家の人がやっているのだから興味深いことこの上ない。
あれだけアーサーがリッチに存在しているのであれば、こっちの歴史にある農業不況や税制改革はどこへやら、その背景にあった政治権力を持つ貴族と大衆の対立、議会における自由党・労働党と貴族院・貴族の対立はどこへいったか?とあっちの世界の歴史が気になって仕方ないわけである。
あちらの世界の歴史にしても気になるところだが、それ以上にイギリスの出身で貴族の家系というバックグラウンドをもったキャラクターがいることがうれしい。さらには1940年代でも元気にしていることがもっとうれしい。
さらに言えばイギリスの貴族であれば、爵位を持つ貴族家の当主だと自動的にイギリス上院に議席を持てることになっている。(上院改革前の話なのでこの際議席上限などの話は置いておく。)
なのでアーサーが貴族家の嫡男であれば、将来的には貴族院議員の地位を確約されているという非常に希少な属性を持ったキャラクターということになる。なので考えようによっては演劇界から政界に華麗な転身を遂げ、ゆくゆくは一国のトップに…とスターウォーズ計画をやっていたどっかの大統領みたいになることだってできるのだ。夢のある話である。
またあえて史実順守で勝手に想像を膨らませれば、ちょうど第一次世界大戦が終わって貴族が衰退しつつある1922年に生まれたアーサーは相続税支払いのごたごたに巻き込まれてなけなしの家財道具と一緒に家族で広大な屋敷から離れ、栄光の時代を知らずに倫敦の小さな家で苦労しながら育ってたりしてなんてアレコレ考えられてしまうわけである。
このあたりキャラクターの持つポテンシャルの高さがものすごい。新サクラ大戦の世界観順守でリッチで優雅なアーサーの幼年期を考えても良し、あえて史実順守で苦難の歴史を歩むアーサーを考えるのも良し。どっちを考えても楽しい。
さらに新サクラ大戦の世界の歴史を考えても楽しいし、どうやってあっちの世界のイギリス貴族が生き残ったかを考え始めるとものすごく楽しいのだ。
個人的な楽しみの話はさておき、史実のイギリス貴族のボロボロでグダグダで瀕死具合を知っているとイギリス貴族として元気に倫敦華撃団として戦っているアーサーがいるのはすごいことに思えてくる。実際の歴史では税金でヒィヒィ言ってるのに、あっちじゃ健在でしかも倫敦華撃団の団長をやっているわけである。すごい。
ここまで長々と書いてきたが、「イギリスの伯爵家」という文言で惹き込まれた人がいるわけである。そうなってくると今後の話の展開でもっとこの辺の設定が踏み込んで描かれたらいいなと思っている。カントリーハウスがどこにあって、屋敷の庭はどんな具合で、アーサーの父親は上院で保守党なのかどうかとか屋敷で雇用している使用人の数とか領地の経営状況とかいろいろ考えたいことが山ほどある。十中八九公式でそんな細かい話の供給はないと思うので自足自給にならざるを得ないだろうが。
その辺はさておき、実際の歴史をある程度知っていたらアーサーにものすごく興味が湧いたという人の話であった。
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