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「君に叱られた」に見る「自分」と恋愛

 久々の乃木坂系noteですね。えっ、もう発売から2カ月経つって? というかもはや「最後のTight Hug」MV公開されてるって? ……すみません、レポートを書くので忙しかったのです。ちゃんばーです。

 ということで今更ながらですけど、「君に叱られた」に見られる「自分」観や恋愛観などが自分の持っているものと非常に近かったので、私なりの解釈を書き残しておこうと思います。

⊿まあとりあえず聞いてみましょう
⊿「君に叱られた」に見る恋愛観
⊿精神的迷惑の例外

⊿おわりに

⊿まあとりあえず聞いてみましょう

 「自分」観だ恋愛観だ言う前に、単純にいい曲なんでまずは聞いてみましょう。といってもこのnoteを見てくださっている方は乃木オタの方が大半だと思いますけどね。初耳の方は新鮮な気持ちで、乃木オタの方は「そうそうこれこれ」でも「かっきー可愛い」でも「かずみんだけじゃなくまさかいくちゃんまで卒業かぁ」でも思いながら聞いていただければと思います。
 歌詞を置いておきますが、書いていたら思ったよりも長くなったのでお時間余っている方以外は飛ばしていただくことをお勧めします。

歌詞

電車の中はうるさくて 知らずに声が大きくなってた
きつく聞こえたかもしれない
僕のどこが間違ってるんだ? トンネルに入る前にそう言って
暗くなった窓が気まずい

他人(ひと)の話聞こうとせずに 自分の答えを押し付けた
そんなに世界を狭くしてどうするの
僕は頭を殴られたようで

やっと わかった わかった 君の存在
当たり前すぎて気づかなかった
そんな言われ方したことないよ
そばの誰かが庇ってくれた
わかった わかった 自分のことが
愛がなければ生きてはいけない
大人になって 初めてだった
いつもはあんなやさしい君に叱られた

ホームに降りた僕たちは 続きを話す気もなくなって
少し距離ができたまま
人ごみに埋もれてしまいそうで 僕は謝ることより先に
君と手と手を繋いだ

どこか足りないジグソーパズル そっと互いに埋めあうのが
相手への思いやりとかやさしさとか
それがごく自然な関係なんだって思う

なぜか 言葉が 言葉が 刺さってるのに
ずっと素直になれなくてごめん
言い負かされて悔しいけれど
一人きりじゃ何もできない
言葉が 言葉が 刺さってるのに
反論しても無駄な抵抗だ
プライドなんかどうでもいいよ
それより僕は君に叱られてうれしい

愛は甘えられるもの 許してくれるもの
だからいつだって 一方的だった
やりたいようにやっては 誰か傷つけてきたのか

例えば世界にたった一人の君には
叱ってもらいたい

わかった わかった 君の存在
当たり前すぎて気づかなかった
そんな言われ方したことないよ
そばの誰かが庇ってくれた
わかった わかった 自分のことが
愛がなければ生きてはいけない
大人になって 初めてだった
いつもはあんなやさしい君に叱られた

僕を叱って
君が叱って
ちゃんと叱って
素直に聞けるから

⊿「君に叱られた」に見る恋愛観

 先ほどの歌詞をざっくり言ってしまえば言い争いから「僕」は「君」に叱られ、それをきっかけに「君」への愛情に気づかされるというストーリーです。

 これをある「自分」観から見ると、なぜ「僕」は「君」に叱られたことから「君」への愛情に気づいたのかという疑問にある答えが見つけられると思います。ある「自分」観とは自分に迷惑がかかることでなければ別に何をされても構わないということです。

 この「自分」観に基づけば「君」が「僕」を叱ったのは頷けます。電車という公共の場で「僕」に強い語気で詰められたのですから。単純に強い語気で詰められるというのは精神的迷惑を被りますし、しかも公共の場ということが精神的迷惑を助長しているでしょう。

 では、なぜ「僕」は「君」に叱られたことが精神的迷惑ではないと感じられたのか、そして「君」への愛情というポジティブな感情にまで気づけたのか。それは「僕」にとって「君」が「自分」という概念の中に含まれていたからなのです。

⊿精神的迷惑の例外

 精神的迷惑に繋がるような行為をされても、それを迷惑だと感じない例外が唯一あります。それはその行為の主語が自分自身である場合です。本来は精神的迷惑に繋がるので回避した方がいいにも関わらず、仕事帰りに「今日もヘマをやらかした…」と自省するのはこの例外にあたるでしょう。

 さて、「君に叱られた」のストーリーに戻りましょう。「君」に叱られた「僕」は、叱られたのになぜか精神的迷惑ではないと感じられたのではないでしょうか。「僕を叱って 君が叱って ちゃんと叱って 素直に聞けるから」と、叱られた内容に耳を塞がず耳を傾けられるというのは精神的迷惑と感じていない証拠でしょう。

 「僕」は「君」に叱られたのに、自省をしているときのように精神的迷惑に感じていない。このことから、「僕」は「君」がもはや「自分」という概念の一部になっているのだと気づいたのではないでしょうか。不完全な「僕」自身を外の視点から反省させてくれる、しかし「自分」の概念の中からなのでその反省は自省の側面を持っている、そんな「世界にたった一人の君には叱ってもらいたい」という結論に至った。それがこの歌詞の中で「僕」が行きついた愛の形なのではないでしょうか。

⊿おわりに

 これも完全に私の解釈ですが、これまでの秋元さんが乃木坂に向けて書く愛の形は「図書室の君へ」などで描かれる「あなたのことを知りたい」という、僕と君を完全に分けていることを前提としたものでした。一方で「君に叱られた」では君と僕が自分という同じ概念の中に含まれているという点で新鮮に感じました。

 これだけ曲を作ってきても、しかもアイドルとしては王道めなラブソングでもまた新たな引き出しがある、秋元さんすげえなマジで。


 

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