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得意じゃないこととの付き合い方 #14

めちゃくちゃ卵がふわとろな酸辣スープを作ってしまい、
一人で「天才か…?」と自画自賛してしまったちゃんまうです。
「天才か!」と一緒に喜んでくれる彼氏はまだですか?
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Twitterで友人が共有していた記事
【小学生以下はヘディング禁止…イギリスでヘディング練習の新ガイドライン発表】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200224-00370682-usoccer-socc

11歳以下に関しては、ヘディングのトレーニングが禁止となる。試合でも、優先事項は楽しむことと体、ボールのスキルを上げることを目的とし、試合ではほぼヘディングを使用しないためとされている。
〜略〜
若年からのヘディングは身体的、特に脳への影響が高く、その見直しが図られた。このガイドラインは、今後世界中に広がる可能性もありそうだ。



スーパー個人的に、サッカーやり始めた頃にあればよかったよなあ〜
このルール!と思う案件でした。
というのも私はヘディングが大の苦手なのである。

コーナーキックの時は大体ニアにいるので、基本競らない(競れよ)
ゴールキックもちょっと競るくらい(これで肘打ちされて鼻血案件も数回)
ヘディングでゴール決めるとチームメイトがびっくりするくらい
「ヘディングをしない」選手でした。


しなくなった原因は記憶が朧気だけど、小学生のときに
「ターミネーターかよ」
ってくらいゴールキックを高く蹴り上げるキーパーがいて、
ヘディングするのが本当に本当に本当に本当に本当に嫌だった。

得意じゃないからやりたくないのか。
やりたくないから得意じゃないのか。
もはや両者だったのである。


しかし、ヘディングができない(したくない)からこそ
身につけた能力もある。それは


「得意な人がやればいいのではないだろうか」



開き直りである。




これはただの責任放棄ではなく(言い訳っぽいw)発想の転換であって、
「あの人はこれが得意」という人のストロングポイントを見つける発想を身につける事ができたのと
自分が得意なプレーや、背が低い自分なりのプレースタイルやチームにおける自分の役割を模索することができたのはサッカー人生に置いては
とても良かったことだったな、と今では思うことができる。


社会人経験に置いても自分が苦手なものと得意なものはもちろんある。
わたしは良くも悪くも1人じゃ出来ない人間だと思っているから、
結構周りに頼ってしまうタイプなんだけど、人に頼るのも能力のうちで、
逆に自分はなにが提供できるのかも最近では考えたりもする。(最近)

適材適所、量才録用、餅は餅屋、おぬきはおぬき、あなたはあなたなのかなと。


サッカーは1人で闘うものではなくて、それぞれのポジションが合って、
自分のプレーに責任持って全うする。
完璧を追い求めることはとても素晴らしいことではあるけども、
互いを補っていくことと、自分の得意な事を尖らせていくことも重要なんじゃないかなって。
高校時代に感じたのは強いチームとは仲良しこよしではなく、互いの長所は認め、切磋琢磨し合う関係性なんだな、と思うこともあった。

これは社会においても一緒なのではないでしょうか。

サッカーは人生の縮図だ(オシム監督)とはうまく言ったもんだな、としみじみ感じるのである。


ヘディング嫌いからだいぶ話は逸れたけども。
それぞれのコミュニティ生きていく限り、最低限努力は必要だとは思う。
けど得意じゃないことは得意じゃないままでも生きていけるし、完璧じゃなきゃいけないってことでもないかなって。
世界中の全員を助けることは出来なくても、目の前の人くらいは助けて上げられる人間ではありたいな。


にしてもヘディングをしないルールとか、いつかはできちゃうのかな。
サッカーしている時は明日死んでもいいからサッカーしたいって思ってたけど、やっぱり死にたくないなあ。と思うのであった。


#おぬきのいきぬき



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