少女ユッコと日高屋「チゲ味噌ラーメン」

以下、都内OLのユッコ(23)と日高屋の期間限定ラーメン「チゲ味噌ラーメン」との出会いと別れを描いた小説です。


湿気た雨の夜、会社帰りのユッコは日高屋にいた。

ガララと手動の引き戸を開けて店内に入る。ユッコは常々、入口のドアを手動にする店はセンスがないなと思っている。最低限、コンビニは全店舗自動ドアにすべきだ。手動ドアは衛生的でない。

慣れた素振りで右手を「1」の形にすると、店員が「空いてるカウンター席どうぞー」と席に案内してくれる。

会社を出た時からメニューは決めていた。店員がお冷を手配しに来たと同時にオーダーをお願いする。

「チゲ味噌ラーメンひとつ。」

「単品でよろしかったでしょうか。」

「はい。」

オーダーを済ませると、手短にお手洗いに行ってコンディションを万全に整えた。ユッコにとって、キメのタイミングでお手洗いに行くことはある種、祈りのようなものだった。勝負には、自分を空っぽにしてから臨むのだ。

なぜなら今日は、今年最後のチゲ味噌ラーメンの日。

ユッコは、頼んだ料理が提供されるまでのわずか数分間、初めて日高屋でチゲ味噌ラーメンを食べた日のことを思い出していた。


ユッコは今年に入るまで、そもそも日高屋に行ったことがなかった。

学生時代のバイト先の近くに日高屋があったが、まず小汚いイメージが先行したため足を踏み入れたいとは思えなかった。客といえば枯れてしおれた爺(ジイ)か、(頭髪が)散らかったオッサンか、貧相でやかましい苦学生だと思っていた。大体合っているということがのちに分かるわけだが。

しかし、類まれな辛党であるユッコは見逃していたわけではなかった。毎年冬になると日高屋の前で鮮やかに踊り狂う、「チゲ味噌ラーメン」と書かれたのぼりを。

実を言うと毎冬毎冬、頭の片隅で気になってはいたのだ。冬になると至る所に現れる「チゲ味噌ラーメン」の字面が視界の隅にチラついた。

辛いのが好きなのもあるが、チゲというものが大好物であり、かつ辛味噌ラーメンというものを愛するユッコは、私がこれを食べずして誰が食べるというのだ、とさえ感じていた。

ただなんとなく低俗な人間が集まりそうなイメージと、バカみたいな安さから味の度合いが想起され、勇気を出して食べてみてまずかったらさぞ悲しい気持ちになるだろうと思うと食べに行こう!とはどうしてもならなかった。もともと一人でラーメン屋には入れるタイプの女子ではあったのだが、「機会があれば食べてみたいな~」と言いながら、店の前を素通りする日々が3、4年続いた。

そんなことが続いた2018年のある日、状況は一変する。

正月休みのことだった。休みを多めにとったユッコは、貴重な平日休みに何をするか真剣に考えていた。ボヤボヤしていたらあっという間に仕事初め。何か一発、今年の新しい自分の背中を押してくれるものを探していた。

最寄りの駅ビルの初売りを眺め、特に何も買わずに家路につこうとした時、ユッコは驚嘆した。最寄りの駅に日高屋が爆誕していたのだ。去年まではモスバーガーだったはずの土地に、凛と佇む日高屋。新品の建物と正月のキンとした空気が出会い、神々しく見えたのをユッコは今でも覚えている。

心臓がはねた。店先のメニューにはあの「チゲ味噌ラーメン」。風に吹かれ踊る赤いのぼり。日高屋のチゲ味噌ラーメンは今日の自分のために開発されたのではないか、と感じた。「今日、今なんじゃないですか」とチゲ味噌ラーメンがユッコに語りかけてきた。

ユッコはその日、新年の気風にあてられて、決して衛生的ではない手動のドアを開けて、日高屋に初来店したのである。

食べるのはもちろん「チゲ味噌ラーメン」。

正直そこまで期待はしていなかった。なんせ一杯590円のラーメンだ、その程度であるということを忘れてはいけない。物は試し、という気持ちで注文した。ものの数分でサーブされて少し面食らう。これが大衆居酒屋「日高屋」か…

早速、スープを一口いただく。まろやかな味噌の風味が口に広がった。唐辛子が少しだけピリッとくる。これは旨い!たっぷりの卵とじと大胆に投入された野菜の甘みを強く感じる。キムチの酸味も感じられ、まさにチゲ味噌。麺を食べると———ユッコはこの時初めて日高屋の麺を口にしたわけだが———柔らかすぎず固すぎず、上出来、というか、すこぶる旨い!チゲ味噌スープにもちゃんと絡んでいる。麺、スープ、野菜、卵…とエンドレスに美味が押し寄せてくる。これが590円だというのか。辛党のユッコには辛味は物足りないものであったが、逆に「辛くないのに箸が止まらないなんて」という驚きがあった。(ユッコ曰く、「柿の種とカラムーチョが食えれば食える辛さ」。)

完飲・完食。こうしてユッコは日高屋のチゲ味噌ラーメンの虜になった。


今年に入って、かれこれ4、5回は日高屋に足を運んでいる。初回は全部飲んでしまったスープだが、飲み干すと1000キロカロリーを超えると聞いてからは少し残すよう気をつけている。

そんなチゲ味噌ラーメンだが、忘れてはならないのが期間限定であるということ。冬限定、冬にしか味わえない味なのだ。今シーズンは11月末から全国で提供されていたらしいが、せいぜい3月いっぱいくらいまでが限度だろう、ユッコはそう思っていた。事実、会社近くの店舗では4月に入ってからメニューが夏用に入れ替わっていた。彼氏の家の近くの店舗もそうだった。「ああ、今年はもう食べられないんだな」遠い目で日高屋を見つめる日が続いた。

しかし4月下旬のある日のこと、学生時代のバイト先がある駅を通り、あのよく見た日高屋の店先のメニューで「チゲ味噌ラーメン」という文字列を視認した。ユッコの会社のある駅や、彼氏の家がある駅よりだいぶ郊外にある店舗の日高屋。「もしかして、都心から離れた店舗ではまだ食べられるのではないか?」ユッコの鼓動は高鳴った。

だから仕事が早く終わった今日、思い出の最寄りの駅の日高屋を確認すると決めていた。「まだチゲ味噌ラーメンがあれば、食べる」と固く心に決めて、電車を降りた。「お母さん、今日外で食べて帰るね」と連絡する準備は万端にしながら、しかしもう終わっているかもしれないという予感も捨てずに、日高屋を目指す足は速まったのだった。

駅を出ると、パラパラと春の雨が降っていた。雨をものともせず、傘はささずに急ぎ足で店を目指し、店先のメニューを注意深く見る。夏の新しいメニューも出ているが、チゲ味噌ラーメンのポスターも下げられてはいなかった!心は跳ね、喜び勇んで入店した。ユッコの読みは間違っていなかったのである!

思いを馳せているうちに、今年最後のチゲ味噌ラーメンが運ばれてきた。このサーブの速さには毎度感心させられるものがある。

日高屋のチゲ味噌ラーメンを食べにくるたび、目の前にサーブされるたび、ユッコは表現しがたいドキドキワクワクに襲われる。これが590円で提供されている喜び。ユッコはラーメン自体好きでお気に入りがいくつかあるが、この値段でこのクオリティを食せることを考えれば、コスパ部門ではナンバーワンに輝くかもしれないラーメンだ。毎回、「前回あんなに美味しかったと感じたのはお腹が空いていたからではないか」「褒めちぎるほど美味しかったんだっけか」と、一口目はやや疑いから入ってしまう。なんせこの値段だからだ。そして一口目でやっぱりああこれだ、疑念は裏切られ、感嘆せずにはいられない。この感情の動きを予期して、ハラハラしてしまうのだ。食べにくるたび冒険がある。それが日高屋の「チゲ味噌ラーメン」。

なんて夢のあるラーメンなんだろう。一口一口、やっぱりか~という出会いと確信があり、食べている時間はあっという間に過ぎてしまう。

ペロリと麺と具を平らげ、器の底が少しだけ透けて見えるくらいで、スープを飲む手を少し止めた。夜に1000キロカロリーを摂取するわけにはいくまいとユッコは思った。

しかし、今日は最後のチゲ味噌ラーメン。今日を最後にもう、次の冬季まで、日高屋のチゲ味噌ラーメンを食べる機会はないのだ。器に沿えるユッコの手にグッと力が入った。残すわけにはいくまい。

覚悟を決めて残りのスープを流し込む。完飲・完食である———。

「またね」

お別れがきちんと言えてうれしいような、少し切ないような、そんな気持ちで店を後にする。今年の11月が待ち遠しい、とユッコは足取り軽く家路についたのであった。


~fin~


※ライスも頼むとクッパのように食べられるとのことなので、参考にされたし。

※画像はお借りしています。

※去年7月からのメニューだった「エビ辛とんこつつけ麺」が5月より始まっています~食べてみよう❤

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