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「君の手で切り裂いて」ほしかった「遠い日の記憶」は幸せな記憶だ

ポルノグラフィティのメリッサという曲がある。

小学生の頃、みんなが空でサビを歌えるくらい有名だったと思う。同年代で、いや違う世代であっても、「君の手で〜」とくれば「切り裂いて〜」と応えられる、みんなが知っているポルノの代表曲だろう。

私は昨日の今日まで、歌詞の深い意味を考えたことがなかった。子どもの頃に歌いなじみすぎた曲だから、大人になってから解釈することがなかったのだ。アップテンポで、盛り上げ曲で、深く考えることなくノリでノッてただけの曲ってあると思う(アニソンに多い)。これもそんな曲のひとつ。でも久々にきちんと歌詞を見ながら聴いて、ひっかかる部分が出てきた。


まずは私の考察の前に、歌詞全文を見ていただこうと思う。

君の手で切り裂いて 遠い日の記憶を
悲しみの息の根を止めてくれよ
さあ 愛に焦がれた胸を貫け

明日が来るはずの空を見て
迷うばかりの心持てあましている
傍らの鳥がはばたいた
どこか光を見つけられたのかな

なあ お前の背に俺も乗せてくれないか
そして一番高い所で置き去りにして
優しさから遠ざけて

君の手で切り裂いて 遠い日の記憶を
悲しみの息の根を止めてくれよ
さあ 愛に焦がれた胸を貫け

鳥を夕闇に見送った
地を這うばかりの俺を風がなぜる
羽が欲しいとは言わないさ
せめて宙に舞うメリッサの葉になりたい

もう ずいぶんと立ち尽くしてみたけど
たぶん答えはないのだろう
この風にも行くあてなどないように

君の手で鍵をかけて ためらいなどないだろ
間違っても 二度と開くことのないように
さあ 錠の落ちる音で終わらせて

救いのない魂は流されて消えゆく
消えてゆく瞬間にわずか光る
今 月が満ちる夜を生み出すのさ


どう思っただろうか?
私は問題提起をしたい。一番有名なサビ、

君の手で切り裂いて 遠い日の記憶を

の記憶って、思考停止で「悲しい記憶」だと思ってないだろうか?

そのすぐ後に「悲しみの息の根を止めてくれ」、とあるから、私は幼心になんとなくだが「なんか悲しいことがあってそれを切り裂いて〜とお願いしている曲」だと思っていた。スッと読むとあたかも「君に遠い日の記憶を切り裂いて欲しい」=「悲しみの息の根を止めてほしい」、つまり遠い日の記憶は悲しい記憶と読んでしまうのだが、そこが同一であるという見方は必ずしも正しくないと私は思う。思った。

私が提唱したいのは、その「遠い日の記憶」は、幸せだった時の記憶である説。(もちろん解釈に正しい正しくないはないので、私の意見)

設定はこうだ。一度は結ばれた、一度はお互いが一番だ最愛だと感じて運命を分け合ったふたり。でも今は離れているか、違う状況にある。しかし主人公はその時の記憶にしばられ忘れられないでおり、苦しんでいる。その記憶から逃れられず進めなくなっている。そして主人公の想う相手は、悲しいかなおそらくもう主人公に気持ちがないか、あっても違う道を進んでいて戻らない(この部分は主人公がかなり苦しんでいることから分かる)。

とすると、君の手で切り裂いてほしい遠い日の記憶とは、楽しかった思い出のあの日々なのだ。今はもうなき、決して戻らない、尊い輝かしい遠いあの頃。あの時は君の気持ちは僕にあった、それは間違い無いからそこに縋ってしまう。あの時あんなに惹かれあったじゃないか。愛し合ったじゃないか。優しい瞳、甘い言葉。もう君の中には少しでも残っていないのか?(残っていないとする見方が賢明)そんなふうに過去に幸せを求めてしまう、探してしまう自分がいる。
でももうそれがつらい。その過去に縋ってしまわないように、拠り所にしてしまわないように、そんな遠い日の幸せな記憶を、君自身の手で切り裂いて忘れさせてほしい。君の手で過去の思い出を否定して、僕の悲しみを終わらせてほしい…そんな悲痛な叫びからこの歌は始まるのである。
そして、いまだに主人公の胸は愛に焦がれているから、相手の気持ちが離れていようと主人公の相手を想う気持ちは変わらない。変わらないけど、もうとどめを刺してくれと懇願している(変われないけど、変わりたいのだ)。悲しみの息の根を止めて、愛に焦がれた胸を君本人に貫かれれば、あるいは…と思っているのだろうけど。

1番サビ前で言うと鳥に置き去りにされたいのも、優しさから遠ざかりたいのも、遠い日の記憶が幸せと紐づいていることを表現している。過去の優しくされた思い出、愛された日々から距離を置きたい、もう思い出したくない(辛いから!)という気持ちの表れだ。
せつないな。

2番では、ずいぶん立ち尽くした末に答えはないと悟っている。それは結局君に過去をなかったことにしてもらうことができないと分かっているということ。過去に縋る自分がいる限りどうにもならないと分かっているということだろう。
Aメロは、やや暗喩的だが、羽が欲しいとは言わない=また愛し合いたいなんて贅沢は言わない(自分の意思で自由になる)、せめてメリッサの葉になりたい=ただ過去に縋る苦しみから逃れたい(自分の意思の通りではないが自由に楽になる)ととれる。ここは解釈に余白があるところ。

2番サビで鍵をかけたいのも、幸せだったあの頃の記憶。主人公はもう君との日々を封印したいらしい。なぜかというと、どうしても思い出してしまうから。だから君の手で、僕にはどうすることももうできないから君に終わらせてほしい。鍵をかけて開かないようにしてほしいのだ。僕にはためらいがあってできないけど、君はもう僕のことなんかどうでもいいだろう?ためらいなどないだろう?

ここまででかなり主人公が追い詰められ、救いを求めていることがわかる。当の君に乞うていることからも、切実さが際立って分かる。

しかしこの曲のラスサビには救いが描かれている。曲の最後で日は沈み、夜になり、太陽の代わりに新しく月という光が生まれている。魂は流され消える、悲しみはいつか終わると。ただしここは主人公自身が救われたハッピー!というおわり方をしているのではなく、主人公が自分に「いつか救いはあるはずだ、悲しみに終わりはあるはずだ」と言い聞かせ、あるいは確信しようとしているに近いと私は思う。あくまでも前向きに捉えていこうとしている姿勢だけは感じられる。(答えはないって気づいてるしね)


だけどだけど、言ってしまうと、私の考えでは悲しみは自分の中だけでは終わらないね。主人公のその気持ちを相手に伝えないと。君の手で切り裂いてって伝えて、君の手で鍵をかけてって伝えて、いや何言ってんのキモイよって言われないと…それが真に悲しみの息の根を止めることにつながると思います。対人関係の苦しみ悲しみは、自分の中で考えても妄想で悩みはふくらむばかり(じゃなきゃメリッサの葉になりたいとか言い出さない)だから、その人と話すことでしか解決解消されないもの。
愛に焦がれた胸を貫かれないと、終わりはないね。なのである種、主人公の言ってること、悟ってることは正しい…
でもでも一方でこの主人公は、相手に「私もまだ好きだよ」って言われるのをほんの少し期待している感じがしますね。「つらいから君の手で切り裂いてほしくて…」「あら私もまだ好きだよ」みたいなところに賭けてる節がある、青かわいいね。(青くてかわいい)

一番言いたかったのはタイトルにもあるサビの考察、「君の手で切り裂いて」ほしかった「遠い日の記憶」は幸せな記憶だ、ということ。
それにしても作詞の新‪藤‪‬晴‪‬一が素晴らしいとしか言えない‪、無限のストーリー性がある作品だなと思った次第である。

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