死後探索 ブルース・モーエン ⑥

前回に引き続き、今度は第15章の紹介です。紹介はこの章で終わりの予定です。

第15章 ボブ・モンローの提案

ボブ・モンローが死後2ヶ月してから、またブルースを訪ねてきます。深夜、ブルースは眠りに落ちていこうとしたとき、意識がなくなる前によく見えるような、はかなく移り変わる顔や物などの映像を目にしていました。それから心の目の前にボブと妻のナンシーが現れました。「きみが今でも書いていてくれて、嬉しいよ。いいかい、書き続けるんだ。そうすれば、それが本として出版されるように、今後もこっちから働きかけていくよ」とボブは、ブルースに念を押しました。ブルースは最近、まる一日働いてから帰宅しても疲れずに執筆できている話をボブへするのですが、ブルースはその時は気づいていなかったのですが、どうやらボブ側から執筆できるようにエネルギーを供給してくれていたようでした。

さて、ボブたちがブルースのところへ立ち寄ったのは雑談するためではありませんでした。ブルースへ提案があったのです。すると、提案があると聞いたブルースは本能的に身構えてしまいました。肉体的な痛みを心配したブルースはボブへ確認した。短時間の不快感はあるかもしれないが、痛くはないとのこと。そして、非物質界でのコミュニケーション能力が向上するかもしれないとの話でした。ブルースは「私が同意することで他に何かマイナス面はあるんですか?」と聞いた。するとナンシーは「ブルース、はっきりさせておきたいんだけど、これはみんな、あなたの置かれている状況を思いやってのことなのよ」とナンシーは、ブルースが彼女に寄せている絶対的な信頼を感じ取って言いました。そして、ここでダーリーンという女性が登場します。次の文を見てみましょう。

 『もうほとんど同意する決心をしていたとき、私は、ダーリーンが見えてきたのに気づいた。私は命を預けてもいいくらい、彼女を信用している。彼女は世界中のどんな人にも負けないくらい、愛と同情に満ちた、正直な人間だ。彼女もこのことに一枚噛んでいるのなら、何も心配することはなかった。』 

これほどブルースが信頼する女性とは、どのような人なのでしょうか。今は謎のままです。また、ブルースはコーチにも相談してみたようです。それが次の文です。

『 私は180度向きを変えて、意識をコーチへとシフトした。「何か助言があるかな、コーチ?」と私は尋ねた。「それは完全にきみが決めることだよ。どんなかたちであっても、私が影響を与えたくはないな」。またこれだ!コーチみたいな連中が、ガイドと呼ばれているんだから!この手のことについて、ストレートな答えなんか、もらえたためしがない!「きみの抱いている心配について考えてみたら、決断を下すのに役立つかもしれないよ」とコーチが言ってきた。「そうだな、肉体的な痛みは大嫌いなんだ。それが痛くないってことは、はっきりさせてもらいたい。そして、ボブが提案しているその調整に同意することで、何かマイナス面がないか知りたいな」 』

この内容を読むと、ガイドとはいつも答えをくれる訳ではないことが分かります。私の場合は、そもそもガイドが見えているのか、いないのか良く分かりませんが。しかも、その姿は奇妙なのです。不思議です。

そして、ブルースがボブへ調整が終わった後にどうすればいいか聞くと、大量の水を飲むように言われました。3、4日は何リットルも飲むようにと。その後、何週間かにわたって、ブルースは時々、軽いめまいと「頭痛に近いもの」を感じました。だるくて、すっきりせず、ほとんど痛みと言っていいようなものを感じるとき、ブルースはそれを「頭痛に近いもの」と呼んでいるそうです。そしてそれは、頭痛の前触れのような感じですが、実際には頭痛は起こっていないそうです。ボブたちの調整の結果か、軽い風邪だったのかもしれないと言っております。

ボブとナンシーの訪問から3週間後、ボブたちがブルースに許可を求めた「調整」が紛れもないはっきりしたかたちでやってきたようです。その「調整」は、耳に聞こえる、ものすごく大きな音と共に始まって、ワフンカと呼んでいたエネルギーを感じる場所にとても近い場所で発せられていたようです。大音響は5秒から7秒ほど続き、次には同じ場所が熱くなってきて焼けつくような熱さになった後、2、3秒のうちに熱さの感覚はおさまったようです。ブルースは事前に心の準備をしていたのでパニックになることはありませんでした。彼はレベッカに電話をかけました。それが次の文章です。

『 レベッカには遠隔で健康状態を透視する能力があるので、彼女の意見を聞きたかったのだ。「私の感覚では、それは脳卒中とか医学的に危険な状態ではないわね」私が自分の経験していることを説明すると、彼女はそう言った。「ありがとう、私の感じているとおりだな。これは3週間前にボブとナンシーが言っていたことなんだと思う」ボブの提案と、私がそれを受け入れたことを説明すると、レベッカも私の見方に同意してくれた。「ボブは、水をたくさん飲むようにって、言っていた?」「実際、そう言っていたよ!」私は答えた。「私があなたなら、すぐにそれを始めて、何日か続けるわね」というのが彼女のアドバイスだった。 』

そして、頭蓋骨の一番下に感じる熱さが和らいで、穏やかな温かみに変わった後、ブルースは胸の真ん中に痛みがあるのに気づきました。これは1週間以上続きました。これが肉体的な痛みではないことは分かっていましたが、それがはじまって5日後に、ブルースはまたレベッカに電話をしてセカンドオピニオンを求めました。それが次の文章です。章の終わりまで一気にいきます。

『 「あなたの言うとおりよ、肉体の心臓(ハート)の問題ではないわね。熱い感覚と胸の中心の痛みというプロセス全体が、あなたのハートチャクラを開くためのきっかけなんだわ。それは、合理的な思考とは違った種類の知性なのよ」レベッカとの会話を終えた後、これが肉体的な問題ではないという私の感覚が確かめられてホッとした。あの音と熱さが始まった日から、私の人生はそれまでとは一変してしまった。それからの何週間か、何ヶ月かで、私は心(ハート)を開くというのはどういうことなのかを理解し始めた。長年感じることもなくて、そんなものが存在することさえ忘れていたような感覚を経験し始めたのだ。喜び、悲しみ、歓喜、憂鬱・・・・リストは延々と続いた。私は幼かった頃、耐えきれないほどの感情的な苦痛から身を守るために、精一杯頑張って心を閉ざそうとしたのだ、と気がついた。その試みは、それ以来40年間、うまくいっていた。感情面では、単調で反応の鈍い、安定した孤立状態を守り、どちら側かに大きく逸脱することは、めったになかった。今や私は、どんどん範囲が広がっていく様々な感覚を経験することを、徐々に自分に許せるようになった。子どもがアイスクリームをいろいろ味見するように、私は生きていく中で、様々な感覚を味わうようになったのだ。

私が楽しめる感覚もあれば、好きではない感覚もあったが、私は自分を開いて、見いだせるかぎりの味わいを受け入れ続けた。私は、自分自身の新しい領域をだんだん信じられるようになってきた。それを信じられれば、経験するものは何でも感じて大丈夫だった。私が同意した「調整」は、ものごとを知っていくための新しい言語を私に教え始めていたのだ。それは、感覚という言葉だった。レベッカは正しかった。ハートというものは、合理的といえるような知性ではない。論理や理屈で学んでいくものではない。そうではなく、純粋に感覚を通して働く知性なのだ。どうしてわかるのかを説明したり正当化したりするために、理屈や論理を必要とはしない。知識はただ、ハートを通してわかったときにやってくるのだ。

どうも私は、ボブとナンシーがしてくれた調整の効果を説明するのに苦労しているようだ。それは、私がまだそのプロセスから学び続けている最中だからかもしれない。だが、これは理解するのは大切なことだとわかっている。特に、「ハートを通して知る」というのがどういうことなのか、ほとんど考えもしない、私のような人間にとっては。ハートを通して知るのには、理屈は必要ない。実のところ、私たちはしばしば、ハートを通して得られる知識を割り引いたり、帳消しにしたりするために、理屈を使ってしまう。このプロセスが始まってから1年と少しで、私は「ハートで知ること」を信じられるようになってきた。様々なことを感じ続けるうちに、「ハートで知ること」と、それがもたらす向上した知覚が、私の疑いを徐々に解消し続けてくれるのだ。 』

以上、第15章でした。

個人的な感想

ガイドって、すぐに欲しい答えを教えてくれないよねーっていうのが共感できる部分でした。こちらからガイドへアクセスした際に、ガイドらしき存在から具体的に何かを教えてもらったことが一度もありません。あと、ハートで知ることの大切さは実感しました。以前、ハートチャクラを使ってエネルギーワークをするヘミシンクCDを自宅で聴いたとき、それまでとは違って明らかな映像が見えました。それはCDを聞きながら寝落ちしてしまった後なのか、CDを聞いている最中だったのかは忘れてしまいました。レベッカには電話という手段で引き続きアドバイスを求めているようですね。ダーリーンって誰なんだろうと思いました。

さて、本文とは全く関係ない話ですが、この記事の後半を書いている時はホロ酔いでした。焼酎の黒霧島を飲みながら久しぶりにテレビのポツンと一軒家を見ておりました。その時間は妻と娘は映画館にアナと雪の女王2の字幕版(吹き替え版は3、4回観ている)を観に行っていたので、家にいたのは途中まで昼寝をしていた小学生の息子だけ。ちなみに、吹き替え版は私も観ました。そのため、静かにゆっくりほろ酔いで過ごせました。たまにはゆっくりできるそういう時間があると良いですよね。自分で幸せだなぁーと思いました。

そして、ここまで書いてみて思い出したのですが、そういえば自分もワフンカのようなものではないですが、プレアデス人やアルクトゥルス人などに対してネットワークを開いたなぁと思い出しました。プレアデス人に対しては自分の人生を観察する許可を与えました。今それらのネットワークはどうなっているのだろうか。まだつながっているのだろうか。おそらくそのプレアデス人のネットワークにオンオフ機能は無いと思うのですが、つながりっぱなしだったとしたら、悪い影響はないのだろうかと少し心配になってしまうときもあります。



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