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ちらちらの報告会に行きました/yayo

2020年2月10日(月)に新潟市のゆいぽーとで開かれた、ちらちらの報告会を聞いてきました。
報告会からずいぶん時間が経ちましたが、思い出しながら書いていきたいと思います。

まず、わたしが ちらちら について知っていることをお伝えします。
ちらちらは、新潟市に住む年齢も職業もバラバラの3人が(たぶんバラバラ)、大きな理由はないけれどなんか気になる・ちょっとだけ見てみたいといった、3人の中にあるささやかな動機を取り上げ、実際にやってみる活動をされています。気になることは、ちらちらメンバーだけではのぞかず、誰もがのぞきに来られるようなオープンな場をつくっている、それがちらちらです。

去年は筆談カフェ、哲学カフェ、当事者研究スゴロクの催しを開いたそう。
わたしがちらちらを知ったのは去年の暮れのことで、ちらちらの1人であるあさこさんと友人の紹介で知り合ったのでした。ちらちらという名前で活動していること、社会をよくしたいとかそんなすごい(ように感じる)理由でなくて、ちょっと気になるからチラっとのぞけるような場をつくっていること、当事者研究スゴロクがかなりおもしろかったこと…ほかにもエピソードはいろいろあり、わたしとあさこさんはだんだんとお近づきになっていったのでした。ほかのエピソードはまた別の機会に書けたら。
プロローグが長くりましたが、報告会を聞いてきた報告をします。

この日の報告会は、前半にちらちらメンバーがたずねた社会福祉に取り組む団体である、長野県上田市のNPO法人リベルテと京都・上賀茂のNPO法人スウィングの話、後半は報告会の参加者同士で感想を話して聞き合う時間でした。

『当たり前を見つめ直す』

報告会のタイトルになっているこの言葉は、ちらちらが訪ねた2つの場所にぴったりな言葉だと、あさこさんとりささんは言います。

福祉の現場をとおして当たり前を見つめ直すことができること、福祉の現場に可能性があること、そもそも当たり前ってなんだろうというという問いかけがなされました。
(突然登場の りささん とは、ちらちらのメンバーのお1人。報告会はあさこさんとりささんの2人でされました。) 

NPO法人リベルテについて

http://npo-liberte.org/

リベルテは長野県上田市を拠点に活動されています。上田駅から少し行ったところに柳町通りという長屋が並ぶ通りがあるのですが、その中の一軒がリベルテです。わたしは1度だけおじゃましたことがあり、その通りがすごくカッコよくて、背の低い古い木造の建物が連なっていて、柱や枠などの木が黒々としていて渋くて好きです。柳町通りにはリベルテがあるし、おいしいパン屋さんがあるし(いま地図を見たらカフェもワインの店もあるし信州味噌屋さんもある)、なんて素敵な通りなんだ~と歩きながらうっとりした覚えがあります。

柳町通りのリベルテの拠点・スタジオライトとギャラリーグリーンは、障がいのある人が創作をしたりグッズをつくるアトリエとして、また人が集まってきて時間を過ごせる場として運営されています。報告の中で、この場所についてこんな言葉がありました。

「その人がどんな人か、明らかにしなくても、いてもいい場所であること」

わたしはこの言葉が、この在り方が、とても好きです。とても安心できます。自分や相手やだれかの背景を明らかにしなくても、ただ居られる場所。スタジオライトはこんな場所なんだよと、この表明がたくさんの人に伝わっていたら、こんな素敵なことはないと思います。上田から遠く離れた土地で暮らしていてリベルテに行くことはなくても、わたしが感じたように、自分が肯定されているように感じる人がいるんじゃないかなと思っています。

リベルテは街の人に向けての外向きの文化事業もたくさんされています。

(報告会で配られたちらちら作・リベルテの文化事業の図)

図の中にある、リベルテアーツカレッジやリベルテ100年未来トークは、リベルテと街の人たちとで一緒に学び考えを深めるイベント。どうしてこういった機会をつくっているのか。きっかけとなった思いがあったそうで、障がいのある人が手がけた作品について、その作品の魅力を伝えようとしたとき、障がいをキーワードにして話してしまうことにリベルテは違和感を感じていたそうです。作者に障がいがあるかどうかは作品には関係なく、もっと違う深い部分で感じるものがあるから魅力的なのではないか。街の人たちに作品のおもしろさや価値を伝える言葉が自分たちには(リベルテには)足りていない、街の人たちと共有するための共通の言語が必要だ!との考えにいたり、共通言語を探る試みをはじめたそうです。

また、街の人たちや自分たちが障がいのある人が手がけた作品をどう観るか、障がいのある人たちとのイベントをどうつくって取り組んでいくかを、隣にいる人として、どう一緒にやっていくか共に考えるためにそういった催しを開いているとも聞きました。

隣にいる人として、とはどういうことか。同じ街で暮らす個人同士としてという意味に近いんじゃないかとわたしは考えています。今のこの国の学校や仕事や建物や様々な仕組みでは、障がいのある人と障がいのない人の生活が分かれがちになっていて、自分の家族や近しい人の家族に障がいのある人がいるとか、ご近所さんとか、職場でずっと関わっているとか、そういったことがない限り、関わる機会のない人になっているんじゃないかと感じます。かなり。(ここまで障がいがあるとかないとか書いていますが、わたし自身は、本当はそれぞれ、障がいがあることになっている人と障がいがないことになっている人という認識です。他者と接するたび、障がいという概念に対してハテナマークでいっぱいになり、ないかもしれない境界と、でも明らかに引かれている線が揺らぎます。話せば長そうなのでまたどこかで~)
名前とか好きな服装とか、今どんな生活を送ってるとか、これまでどんなことがあってどんな風に過ごしてきたとか、誰一人同じはないのにそういうことをすっ飛ばして 障がいのある人 とくくって認識してしまう。障がいの特性で芸術の才能があるとかそういう接し方じゃなくて、遠い国の遠い存在の人でもなく、暮らしている街を一緒につくっていく人なんだよと。


NPO法人スウィングについて

http://www.swing-npo.com/

スウィングは京都・上賀茂にあるNPOで、
この先を書きたいんですが、ちょっと、いま、迷って停止してしまいました。というのも、わたしがスウィングの拠点をたずねたのは何年も前に1度だけですが、セミナーで聞いたお話や足を運んだ展覧会や野外のイベント、スウィングの方々とお話ししたり遊んだこと(ペットボトルボーリングなど)、思いの丈がつづられたブログや御本などなどから、形づくられたわたしの中のスウィング像がわりと内容ギッチリで色濃くあり、どれを何からどう伝えようかあーでもないこーでもないと頭の中で揉めています。わたしが知っているつもりになっているのは数年前までのことだし、ここではちらちらが見て感じて報告したスウィングを伝えるつもりだったし、わたしが言葉を並べたところで、スウィングの底知れぬ魅力のほんの一部も伝えられないだろうと、立ち尽くしています。謙遜ではなく、Don't think! feel.方式で触れた方がいいという気持ちです。はー、なんて書こ。

NPOとは、市民が自発的に社会をよりよくするために活動する法人をさすのですが、スウィングは"NPOであること" "市民であること"をとても大切に活動されています。市民という言葉の前では、障がいのある人もない人も性別も年収も年齢も関係なく、すべての人が等しい存在です。つまり線引きがない。なので、障がいのある人とスタッフが何かやるというわけでなく、いち市民としてやっていくという信念が込められています。
スウィングはNPOであることにこだわっていると、セミナーなどであらましを知るたびに聞いていました。なのでこのことはとても大切で、スウィングという社会運動の原点のようなものではないかと感じています。

スウィングの取り組みには、線引きをしないとか、できてしまってる線や価値観を揺らがせるとか、どれをとってもそういったエッセンスが多分に入っているように感じます。たとえば、shiki OLIOLI。shiki OLIOLIは、スウィングが企業から請け負っている八つ橋などのお菓子の箱折りの仕事のことですが、八つ橋がお土産の定番である京都ならではの特別な仕事、華道や茶道のような"道"ドウのイメージで極める達人の仕事として、カッコよく取り組んでいます。PVやワークショップもあるらしく、下請け作業と聞いて抱きがちなイメージを変えているし、実際におこなっている達人らのモチベーションも違いそうです。(たまに他の現場で、外野はおかまいなしで最初からなんの称号も名誉も興味のない人も見かけたので、スウィングにもそういう玄人の方がいらっしゃるかもしれません。)
shiki OLIOLI=紙器折々(しきおりおり)

スウィングがNPOであることとおなじくらいか、それ以上発信し続けていること、球を投げ続けていることがあります。それは「ギリギリアウトを狙う」。"ギリギリ”とはなんだろうと想像してみると、何かのはしっこだなと思いまして、ギリギリセーフで時間に間に合うのは、なんとか定刻までにすべり込んで遅刻はしてないということだし、スポーツの試合でギリギリアウトで点を取られてしまうのは、若干遅いとか誤差があってあと一歩届かなかったり線をほんの少し出てしまって間に合わないことだなと。(野球と新体操を想像してました。)スポーツで、ギリギリセーフなのかアウトなのかわからなくなったとき、何人もで審議したり、映像を見てはみ出たかはみ出てないか、どっちが早かったかなどを判断しています。ときに、その場で出された判断が時間がたってからくつがえることもあります。
そう考えると、ギリギリアウトとセーフはかなり近い場所にありそうです。ギリギリアウトがセーフの枠に入ってるときがあるんじゃないか、セーフのフリして実はアウトなんじゃないか、急に引かれた線によってアウトになってしまったんじゃないか、そもそもセーフって誰が決めたの?なに?と、かなり認識が揺らいできます。
スウィングがやろうとしているのは、ギリギリアウトを狙い続け、セーフゾーンを拡張させていくこと。ひいてはアウトを出されつづけた生きづらさを生きやすさに変えること。

スウィングの代表的な活動(運動)であるゴミコロリでは、街のゴミ拾いをゴミブルーと称した戦隊ものの青レンジャーの姿でおこなっています。はじめた当初は見た目に不信感をもたれ、清掃活動であるにもかかわらず不審者情報に上がってしまったり、子どもに泣かれてしまったそう。ですが長年続ける内に街に浸透し、認知されるようになったそうです。ゴミコロリはおそらく10年以上続けられていると思います。今では幼稚園の前を通っても誰も振り向かないので一抹のさみしさがあるそうなのですが・・・ゴミブルーが街のいつもの風景になっているとのこと。

ギリギリアウトを狙うにしても、そのポイントが絶妙で、そういったプロデュースの力がすごいんだとちらちらは熱弁していました。
ゴミコロリはものすごく簡単に言ってしまえばゴミ拾いですが、虫よけ製品を彷彿とさせるキャッチーな愛称、ゴミブルーというレンジャーをつかうことでゴミ拾いにシリアスなドラマチックさが足され、それらがゴミ拾いというシンプルなおこないを盛り上げています。ゴミ拾いは、自分たちの街をきれいにできて、道行く人とあいさつができるし、地域の人に活動中のゴミコロリ部隊が目撃されることもある。シンプルな行為に無限の魅せ方があるし、またその選ばれた ゴミ拾い 自体が絶妙でドンピシャなチョイスだったのではと思わされます。
それから、わたしが感動したのが、
どうプロデュースするかと同じくらい、実践を発信することが大切にされていて、スウィングのスタッフにはスウィングブログを書くための在宅勤務日が設けられているということです。当たり前ですが、熱を入れて書こうと思ったら決して片手間ではできないので、この話しを聞いたときは、それがちゃんと共通の認識であるということに感激や安堵のような気持ちを持ちました。

他にも、岩室にある障がいのある人が暮らす施設である「かたくりの里」で、スタッフの方が施設の外の視点を積極的に取り入れようとしている話(ちらちらは2月に行く予定だった)や、沼垂(ぬったり)の障がいのある人が創作をおこなっている「さんろーど」が、自分たちの作品を持ってどんどん地域へ出て行っている話など、県内の取り組みも紹介されました。

質問では、リベルテの"共通言語”について質問が出て、「共通を持つ必要があるのか?」との問いかけがありました。ちらちらは、リベルテの代表の方は必要と思っているということを伝え、「分断された状態が出発点にならないように、背景や感覚を共有するための共通言語なのではないか」と話していました。
もう一つは「ちらちらにとっての文化とは何か?」という質問でした。ちらちらの2人は言葉を選び迷いながら、「ちらちらの活動では、誰かの感覚を知ることが、自分を振り返るきっかけになっている。自分ではない人の営み全部が文化だと思う。」と答えていました。答えてはいるものの、かなり迷いながら話されていて、わたしはその姿がいいなと思っていました。迷いつづけて問いつづけて揺れつづけられるところが、ちらちらの強みで魅力なんじゃないかと感じています。このときの印象は、言葉の意味を断定してしまうことへのおそれという感じはなく、文化の意味が拡張しつづけていることを身をもって体験していて言葉にできないというような印象を受けました。

休憩をはさんで後半は、報告会に参加していた人で5,6人ずつに分かれ、感想や思いを話しました。わたしの参加したグループは、医療と社会福祉の仕事に携わる人の多いグループで、勤めている職場での個人にフォーカスしないやり方や、それをなんとかしたい気持ちや葛藤などを話す人が多かったです。リベルテやスウィングが夢のような場所に感じられ、行ってみたいという声もありました。わたしからは、新しくはじめた仕事がこれまでしていた福祉の仕事とは全然違って、大きな建物内で人の動きに目を光らせるような役割を求められることに戸惑いと抵抗がある話などをしました。(いまは適当にやっている)同じグループの人たちは、うんうんとうなずきながら話を聞いてくれました。
最後に、6つくらいできていたグループごとに話した内容をかいつまんで発表し、この日の会は終了しました。
この日は平日夜の開催にもかかわらず、定刻が近づくにつれ続々と人が集まり、最終的に30名近い方が来られていました。私個人の感覚としては平日の夜に30名もの人が集まるってすごいと思っていて、会場もギュウギュウだったし、ちらちらの活動に多くの関心が寄せられていることを感じました。
質問がバンバン出てきたわけじゃないけれど、少なくともわたしが話した人たちは、自分の生活から得た疑問や葛藤や哲学を持っていて、それをちらちらの報告会という場に確かめにきたような静かな熱さを感じとりました。

この報告会に参加した当時、ウイルスのウの字も出ていなかったように思います。
さて、春からのちらちらはどんなことをするのかな。また関わりたいな。報告会で知り合った人たちとまた会えるかな。はやく凍える新潟の冬が明けないかな。そしたらもっとアクティブになれる気がする。そんなことを思っていたような気がします。
今のわたしの生活は、家と仕事の往復です。職場は通常どおりの状況ではありませんが、仕事はあり、ほぼ毎日通っています。ウイルスの陽性と診断された人がわたしの住む街にはおらず、営業していないお店も多く公共施設は閉まっていて、街全体がひっそりしているように感じます。今は閉まっているわたしの職場を利用していた人たちはどうしてるんだろう。(4月末当時)
もともと家に居がちなので、家にいる時間はこれまでと変わらないのに、お菓子を焼く気分が高まっていたり、文章をじっくり読もうという気が起きるのは不思議ですが、なんかもう答えを知っている。不思議だけど。(yayo)

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