井戸の奥底から空に向かって唾を吐く大海も知らぬ蛙

クソデカ白T着てテレキャスを弾きながらわざわざ一眼レフで動画を撮ってインターネットにあげるような人種は、まあ一定数、存在する。俺はニコニコのインターネットバンドマンを見て育ったので「弾いてみた」といった動画には忌避感は無いのだが何故だか前者のような人たちを見ると立毛筋が収縮し、毛が体温を逃さまいと逆立ってしまう。何故だろう、本当に。理由は考えません、悲しくなるので。
最近は一個人という人格に対して怒ることがほんとになくて、「もしかしたら俺、優しくなった?」みたいなことを異世界転生の主人公みたいなノリで思ってたんだけど、他人との密接な関わりもなく異性との濃厚接触もなくコロナとは全くもって無縁な生活を送っている俺がなぜ人に怒るのか?(反語)、ということに気づいてしまったせいでその疑問の理由が確定してしまい、大声で泣いてしまった。
社会不適合者なので人に怒らずとも、ある性質を持つ属性的な集団に対して怒りというよりむしろ呆れ軽蔑嫌悪という感情を持つことは多くなったな。自分のこと世界一可愛いと思ってる癖に「ブス」という単語と共に自分の自撮りを載せちゃう女は誰だってキモイと思うでしょ。自分のキモイ感情のせいでそんな奴らが周りに増えてしまった。にしてもそういう女の「ブス」はただの1単語なのに「私に可愛いって言え」っていう意味になるから凄い。外人ニキも驚きの日本語の奥ゆかしさ。
馬鹿なことをしているヤツらのことは鼻で笑いながら見下してすぐ忘れるっていうのが1番賢い方法なんだろうけど、きっと俺は、YouTubeで好きな音楽のコメント欄で古参ぶってる人間がきちんとそのアーティストの楽曲を知らなかったってことを知ったり、昔ブスな女性アーティストをバカにしながら、jkに媚びるな!って言ってたヤツが、整形までして、ネットで精神病と中高生と一緒に生きていく決心をするのを見たりしたら、安心してしまうんだろうな。
24時間テレビを100年間熟成して人格化したような人間がとても増えてしまって善意という自意識が俺の周りを取り囲んでぎゅうぎゅう詰めの満員電車になっている。いちいち臭いことを言わんと死んでしまうような呪いにかかった奴も、自信満々の卑屈さに身を包んだ可愛い女の子も、自分のことを陰キャだと自称するナルシストも、ネットでは大人気だ。
どんなに関わりあっても他人のことなんて絶対に理解できないんだから、相手を信じたいかどうかは、結局、好きか嫌いかという至極真っ当なしょうもない私的感情に左右されてしまう。卑屈だろうが性格が悪かろうが嘘つきだろうが、弱々しくも自分と戦い続けてる人の方が好きだなと、思う。インターネットというスクリーンに投影機でせっさと自分の虚像を写し続ける人達より、泥まみれでもブスでも自分の身体を直接晒せるような人と付き合っていたいし、そういう人たちとしか共有し得ないような刹那的な感情というものも存在すると思う。
自分のいい所しか見せないというのは楽だけど大変だろうし、ネットの中でそれをやり通せる人間は中々いない。金メッキはいずれ剥がれるし、傲慢な俺は完璧に見える人の中にたまに見え隠れする人間的なダサさに失望してしまったりする。ならば、最初から全部ぶちまけてしまえばいい。
こんなカッコイイこと言ってるけれど、俺は可愛い女の子に生まれてたら全然あざとく生きるし、なんか才能があったら絶対もっと上手に生きてる気がする。だってその方が絶対楽だし、楽しいし、気持ちいいだろうな。俺のこの変な自意識は、俺がブスでチビでなんの取り柄もなくて誰からも見向きもされなくて唯一音楽が好きな癖に歌も下手だったからこそ芽生えたものだからほんとにしょうもない。自分に何も無いおかげで正直に生きられるからといって、周りにそれを求めるのはなんとも自分勝手な話である。
弱者から強者に対する投石は回避不能の最強攻撃なのであまりしたくはないが、良いものを善いとする世の中で、俺みたいなカスがインターネットの片隅で良いことに不平不満を叫ぶぐらい、神様だって許してくれるだろう。多分。

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