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CRYAMYとわたし

初めてCRYAMYに出会ったのは5年前、高2ぐらいだろうか。インターネット老害にはお馴染み、地下室タイムズで石左がやたら推しているバンドがいたので、YouTubeでディスタンスを聴いた。衝撃を受けた。限界まで歪ませたギターサウンド、カワノの壊れそうな高音、あまりにも悲観的な歌詞。でも、ペシミズム独特の痛々しさは全く感じなかった、バンドサウンド全てがカワノの声を際立てていて、むしろ儚さに近い美しさを感じた。

2024年6月16日、CRYAMYのワンマンライブが日比谷野外音楽堂で開催された。CRYAMYというバンドの寿命が僅かでもあるかもしれないこと、最期のライブになるかもしれないことは直接言及されていないものの、SNSやツアーの様子からは容易に想像できた。
大好きな「鼻で笑うぜ」が始まった瞬間に号泣してしまい、ライブのことはあまり覚えていない、というのは全然嘘だ(号泣はしていた)。というのも、ライブの感想というものを逐一覚えてる人間はいる訳もなく、何かしらの記憶の断片に頼ることになる。当時の思いを追体験することは出来ても、完全に思い出すことは出来ない私は、過去の感情の吐露というものに胡散臭さを覚えてしまう。ただ、会場の熱気とは裏腹に日は沈み、やたら美しい月が見えたことだけははっきり覚えている。

なぜCRYAMYが終わるのかは分からないし、もしかしたら終わらないかもしれない。身と心を削って音楽に向き合うカワノが限界を迎えたのかもしれないし、みんな単に飽きただけかもしれない。カワノはライブ中、いつものように自分を卑下していたけど、こんなに繊細で優しい曲を書いてくれて、人間臭さの塊のようなMCをしてくれて、誰よりも人間に向き合ってる人だよ、アンタは。
「俺にはありきたりなメッセージなんて送れない」って言っていたけど、CRYAMYは私に孤独な夜の過ごし方を教えてくれた。いつか話していた優しいあの子みたいに、否定の肯定を許してくれてありがとう。他人から見たらくだらない精神的自傷行為に見えるかもしれない自己嫌悪を抱えている私に「生きろ!」と声をかけ続けてくれてありがとう。

貴方たちのおかげで眠れる夜が必ずあります。


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