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それとも臆病者か

義を見てせざるは勇無きなり。

私は、この言葉に助けられ、苦しめられてきた。『組織において自分自身の役割や果たさなければならない責任を自覚しているにも関わらず、それをしないのは臆病者である。』という意味を持つこの言葉は、今となっては私の行動の軸となっている。
普段部活動をしている中で、ふと気づく問題や他部員から与えられるミッションに対して、自分は行動も含めてどのような返答をしてきたのだろうか。

臆病者!!!

私が自分自身にこの言葉をぶつけたことは今までに何度もあった。誰かが困っている時に脊髄反射で動けるか、チーム運営に必要な仕事に対して誠実に向き合ってきたのか。
『しない』という選択は容易だ。
誰にだってできる。
では、誰にだってできることをするために、たくさんの時間を投じてきたのか。
臆病者になる為に、毎日を生きているのか。
引退した時に得られるのは臆病者と印字されたトロフィーなのか。

臆病者!!!

私はこの言葉から必死に逃げてきた。成長には決断が寄り添う。意を決して飛び込めば、大きさに違いはあれど何か得られるものがある。その積み重ねが、潜在的に自分の背中を押し続ける『勇気』へと変わる。私はこの場所でその芽を摘んでいきたい。

こんな偉そうなことを言っているが、靴のつま先は両方とも穴が空いている。

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