「くだらない企画」の成功の見つけ方
ちょっと前「合同新歓」というイベントに参加してきました!
大学新入生向けの企画で、サークルや学生団体との交流がメイン。
僕はそこに来ている学生達の写真をパシャパシャと撮らせて貰いましたヽ(・∀・)ノ ワチョーイ♪
「こんにちは!あなたの夢や志を教えて下さい!」
どっかで聞いた事ありそうで、実は、案外ないかもしれない。
それを学生の方々に伺い、スケッチブックに書いてもらって。ハイ、記念撮影。
コレを(わんさか休憩を挟んで)300分くらい行いました。
断られるコトもあり涙しましたが、合計で約50人の方々に協力してもらいました〜
本当にありがとうございました!!!!!
「なんでやってるの?」
度々聞かれたので、こう答えました。
「(聞いたことあるけど、みた事もないものをやってみたら)単純に面白そうだから。」
※写真という観点でみれば、他にもあるのですがソレは別の機会に〜
「何かの企画なんですか?どこかに写真をあげるの?」
といった事もよく聞かれました。
社会的な信用を築ければやりたい事はもっとスムーズに加速していくのだなぁと実感。
ガリガリ君のぬいぐるみでも勝手に作って普段使いしようかと思いました←偽物やけど
心の中では、
「(単純に写真撮るの楽しい、練習したい。新しい交流のありかたを試しています。
名前の知らない誰かを探してるんです。)」とか思ってたんですけど、
内心を吐露しないほうが、協力者は増えるんですよね。(戦略的ですかね?)
まなび
企画のきっかけに関しては、
「(聞いたことあるけど、みた事もないものやってみたら)単純に面白そうだから。」
ですが、、、!
セレンディピティの貴公子である僕には、大きな収穫がありました。
実行しておいて失礼な話ですが、初対面の方々から志や夢を伺うという行為、
それ自体に、僕の脳みそ性感帯は興奮しませんでした(少なくとも実行中は)。
すいませんm(・・)m
というのも、初対面の人とのほんの数十秒の関係性で引き出した言葉が、
劇薬的なインスパイアをもたらす可能性は低いと見積もっていた訳です。
「期待を超えておくれ」といった過度の期待に見合う回答なくして、
満足して家路に着くことはあり得ない(これを最大の前提としておくならば、ですが)。
この企画に要した時間・金銭・労力などの総合的なコストに見合う回答・・・!?
上記の勢いで調子にのり、虚しく感じるような<交換>だけを僕が意図すれば、それは虚しい形容詞を結末まで運ぶ事になりますよね(我ながら良い表現出来た、嬉しい)。
十中八九、上記の様な前提を抱え「見合う価値」とやらに運良く遭遇する可能性は極めて低いはず。
登校中に食パン美少がマンホールの下から「にいはおま♪」と挨拶をしてくるレベルです。
なんたって相当なコストが掛かっている筈ですからね。
試行回数を増やしたとしても、それまでへの埋没コストの回収すら危ぶまれるかも。
くだらない企画で得るものは、くだらない結末オンリ〜で、試行しないことが最善の選択に、、、
この企画は「実にくだらない企画」というレッテルを貼られて終わり…?!
・・・( ´・ω・)y━。 o ○(´・ω・`) 。 O (´・ω・`) ショック・・・
というのは、僕の中で「顕在化されているものさし」だけを限定的に使い、
この世界/実にくだらない企画を評価した時においてだけ確認されます(自分でも何言ってんだか)。
理解しがたい事象に触れれば触れる程、
今の所僕が持ち合わせている/顕在化されている
「ものさしの種類・用途・大きさetc…」がなんとなく把握されてくるのです。
「も〜し〜も」の話をします。
僕があの企画を通し、運命の人に遭遇したとします。超絶美脚の食パンGIRL。
そうならば、満面の笑みを浮かべて帰宅する僕がいる筈です。
結論を急げば、
くだらない企画は、当初の目的とは全く違った意図/顕在化されていなかった目的によって
はじめて(有意義な)意味を見いだす事が可能です。
話をすこし変化させます。
有名なアーティストのコンサートの運営です。
例えばですが収益◯億円や、◯万人の来客といった数値目標が掲げられているとします。
それに対し運営側は思いつく限りの努力をし、そして、見事数値目標を達成しました。
みなさん大喜び。うひょ〜
しかし、それは予定されるべき事。準備された事。
驚くべきではないのかもしれません(数値目標の達成は、全くの予期を経ず訪れた訳ではないのです)。
逆算すれば「当たり前」であるべき事であり、順をおって時間が進行し、ある地点で結果が結果として可視化される状態になっただけ。
つまりは!です!!
今まで気づけていなかった(本来の意図とは全く異なる)価値を新たに見いだす事に、
くだらない企画(多くの企画)の成功は隠れているのではないでしょうか?
僕の今回のそれは、
『理解しがたい事象に触れれば触れる程、
今の所僕が持ち合わせている/顕在化されている
「ものさしの種類・用途・大きさetc…」がなんとなく把握できた』というコト。
街中でこの企画をやってそうな人が実はいなそうだからやってみたこの企画。
僕は、その人達が「感じているだろう喜びや満足etc…」は得る事が出来ませんでした (´・ω・`)
つまり、世の中には、僕がまだまだ感じ方を知らない喜びや満足etc…があふれているかもしれないと。うひょひょ〜
また、意図的ではなく生まれたこの付加価値は、
まったく同じモノを「意図して再生産する」試みをした時は、
異質のモノにならなければならない不可逆性にも注目したいです。
認識されえない生産プロセスというのは大変魅力的ではないでしょうか?
おわり
P.S あ、超絶美脚の食パンGIRLっていうのは、朝に時間なくて食パンを口にくわえて全速力で登校しているセーラー服の艶黒髪の女子高校生(17歳)ってことですけど、そんな趣味はないですからね。
2014.06.17
いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。