190225_智恵子抄_04

旅先に北鎌倉の升をはこぶ

旅先のトランクになにを入れるか。重要な時間である。
服に、歯ブラシに、機材に、フィルム。に紙に手紙に切手にペン。
手紙は数年前から、フィルムは今回から仲間入りした。本はやはり欠かせない。ここ数日は何度もなんども智恵子抄を読んでいる。


あとはなんだろう。滞在先でどんな生活を営もうか。妄想が膨らむ。
朝は走って町の光を浴びたいな。だからランニングシューズもかかせない。
料理もしたいし、お気に入りの器でお茶やお酒を飲んで一息つきたい。
だからスパイス、ハーブ。器は錫と陶器の2種類を梱包する。
疲れたときにあの香りに包まれたい。香水とお香を持ち歩いている。


そして今回、旅先に仲間入りしたのが升である。
数年前に北鎌倉にSさんと訪れて、偶然立ち寄った檜の専門店。
軒先には道まであふれる数多の植物と、店内にはなぜか無数のキューピー。
写真を撮っていたら中から主人が顔を表した。肌がツルツルな親父である。
強烈な人は、話し出したら止まらない。が、聞いていられる珍しい人だ。
檜と彼の人生を。時代もあったのだろうが、檜に彼は人生を決めていた。
信じていた、檜を。


そしてこの升がすごいのは、その飲み口の滑らかさだ。
主人が、丁寧に、丁寧に。丁寧に、磨いていた。ヤスリを当てられていないものを試す。それも十分に、滑らかだ。すでにいい香りがする。

が、その主人がヤスリをあてたものの滑らかさは、全くの別物だ。
写真に、この滑らかさを写せるだろうか。目には見えないけど、唇は感じているその滑らかさ。鼻だって、その違いを嗅ぎとっている。目には見えないものを見せれる人になりたい。職人として生きる人々がつくった美しいものたち。その美しさを感じ取れる人間になりたい。目に見えないものに、目を向ける時間を、じぶんで守り続けたい。

朝。その時間を、未来に繋げれるように。と、祈るように湯を升に注ぐ。香りが広がる。部屋が変わる。ぽこぽこと小さな小さな音がする。木の呼吸する音がする。湯と湯気の透明さが、升を一段と引立てる。朝の体を、この升で、白湯で今日も醒ます。






いただいたサポートは、これまでためらっていた写真のプリントなど、制作の補助に使わせていただきます。本当に感謝しています。