「8月の晴れた夜に、120%の男の子に出会ったこと」

先日、友人のライブの参加した。「意味わかんなかった」は私らにとって最高の褒め言葉である。「音楽とはこんなにも自由なんだ・・・!」そして、私たちはそう思った。偶発的な握手を、しれっと交わしていた。

1カ月ほど前にシンガーソングライターの友人がとある作曲家を紹介してくれた。彼はぼくに「ぼくの作品だよ」と紙のポートフォリオを見せた。「楽曲なのに紙媒体でそれを紹介されても」と思おうとした。アルバムのジャケットに一瞥をしただけで、わかったことがあった。それは不可解系の音楽/サウンドであった。いわゆる実験音楽といわれるジャンル(あえてするなら)であり、大半の人はそれを音楽とは言わない。そういったものだったが、その成果物は120%彼のものであったし、ぼくは久しぶりに初っ端から120%をこえて人格を見せてくれる彼に好意をいだいた。

また、ぼくは今年の春からそういった音楽に触れ始めたことで、そういったものこそ音楽だと思っていたし、彼の数百を超える作品群を受容するどころか、「いざ、待ちわびていた」と思うように、前のめりになって彼と話をした。一般的には音楽とはいいずらいかもしれない。かれの曲は、音を出すこと/作ること/遊ぶこと/面白がることを前面に感じられて、音楽と呼ぶことなんてもったいなかった。ぼくはそれを「音楽的行為」と命名したい。

前置きが長くなったが、その彼のライブにお邪魔した。池袋にある、普通のライブハウスで演奏するそうだ。「どんなことをやるの?」ときくと「ジョンケージの手法を取り入れたものを25分間やるよ(クマの可愛いLINEスタンプ)」とのことだった。しかもそんな奇行の前後には、普通のバンドマンが5.6組いるようで。場違いななかで、彼はライブデビューするようだった。狂ってるな、と。それしか思えなかった、ボキャ貧でよかったと思えるほどに、かれを狂ってると思った。

ジョンケージを知らない人は、ぜひ彼を調べて欲しい。「4:33」という極めて静かな楽曲を残している偉大な現代音楽家である。知っている人は思うだろう。「それは、ライブハウスでライブとして成立するのか?」「25分間はながすぎるのではないか」と。

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ライブ中の感想は「早く終われ」「いかにして終わらせることができるのか」であった。

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ライブ後の感想は、「意味がわかんなかった」と、冒頭の通りである。しかし、ぼくの顔には満足が広がっていた。”音”や"ビジュアル"としてそのライブを捉えたなら、耐えることができるものではなかった。しかし、「音楽的行為」としてその体験を捉えた時に、それはこれまで出会ったことのない素晴らしいものになった。それが冒頭の通りである、「意味がわかんなかった」につながり、ぼくの理解を超えてくれたいたことにつながる。

彼の今回のライブは、「4:33」的なものではなく、ジョンケージの他の手法を用いたものだった。3つ用意されたサイコロの目を用いて、その場その場で、出される音を決めていくというもの。リズムは殆どない。そこに夢中になるには、じぶんで音をおもしろがる小さな穴をみつけて、広げていくしかない。そして、その無理にやりやってリズムを探す中で、快い音をさがしだす、彼の思考をあぶり出す、自分の立ち振る舞いを選択する、という旅にでる必要が生じる。

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「どういった精神状態であれば、彼はMacbook一つで、ライブハウスでこんな行為にでれるのか。25分間も。」

「右斜めまえに、むちゃくちゃ頭揺らして曲をきいている人がいるが。ならば、どこかにぼくにも聴こえてくるグルーヴがあるのではないか」

「・・・・ああ、音楽とはこんなにも自由なのか。」

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どう考えたって綺麗な音ではない。どう考えたって一緒にいる女の子を口説けるような空間でもない。使うLINEスタンプだって可愛いクマだ。しかし、ライブに訪れる前からぼくはわかっていた。かれは、ぼくにとって8月の晴れた夜に再開した120%の男の子なのだ。彼のライブに参加することを決めた時から、ぼくの心臓は不規則に震え、手にはハンカチをじっとりと濡らすほどの汗をたたえていた。

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