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ミリトンの目覚め

セルヒオ・ラモスを覚えていない人はいない。

エンブレムがマーキングされた腕章を、6シーズンもの間左腕に巻き、クラブの船頭を担った。両腕にはぎっしりとタトゥーが彫られ、腹部には美しいほどのシックスパックを持つ。その吠えた顔は「怪獣」という言葉が似合う。白色のユニフォームを着ていても、筋肉が浮き出て見えるほどの鋼のような肉体で幾度となくマドリーを守った。

クラブが大きくなればなるほど、主力選手の替えが効かなくなる。世代交代が頭を過りつつも、シーズンを戦っているうちに、ファンが口を揃えて懐かしむ三連覇の夜から3年の月日が経っていた。


始まりの鐘

時は2021年4月。マドリーはホームにエイバルを迎えた。あの頃はベルナベウではなくアルフレッド・ディ・ステファノだったことも思い出として記しておこう。ジダンはその試合で右からミリトン、ナチョ、メンディの3バックを採用。ヴァランはCovid19で、ラモスは度重なる負傷でチームを離れていた。当時は次節にリヴァプールとの2戦、さらにはクラシコが控えていた状況で、ラモス・ヴァラン不在の際のテストマッチ的要素もエイバル戦には含まれていた。

ここで一旦、時を2019年まで遡るが、その年の夏にポルトから加入したミリトンは1年目は20試合(スタメン15試合)、2年目は21試合(スタメン19試合)に出場した。マドリーは例年、1シーズンで50近くの試合をこなすため、その数字は半分にも満たしていないことが分かる。ラモス、ヴァランの2人の壁だけでなく、絶対的安心感の定評をもつナチョにも出場機会を阻まれていたと言える。

マドリーでの1年目が思惑外れのシーズンになった選手は少なくない。モドリッチやベンゼマもその類いだった。特にミリトン(当時21歳)は将来を見据えた獲得であり、まだ慣れというものが必要だった。
ところが、勝負の年とも言える2年目もそう上手くはいかなかった。明らかなスタメンの固定化を図るジダンは、ミリトンに出番を与えず、リーガ第28節が終わってミリトンが出場したのは4試合のみ。第21節レバンテ戦では開始9分にドグソを喰らい、評価が上がらない中で自ら追い打ちをかけることになってしまった。そうして第29節エイバル戦を迎えた。


禍福は糾える縄の如し

ミリトンの評価はエイバル戦をきっかけに上がり始めていった。それもそのはず、エイバル戦でのパフォーマンスは決して悪いものではなく、今後の可能性を残すに値するものだった。特に空中戦は負けなし(7回)で、両チームトップの成績だったことを強調しておきたい。

その後、ラモスとヴァランが同時にピッチに立つことはなく、残していた14試合(リーガ10試合・CL4試合)全てでジダンはミリトンを外さなかった。試合数を重ねるごとに、眉をひそめるファンの数は体感的に減り、讃美の声が増えたことを今でも覚えている。そして、その声はさらに声量を増すことになる。

それが第34節オサスナ戦。チャンスを決めきれずにスコアレスのまま迎えた後半35分。徐々に苦しさが積もるチームを救ったのがミリトンだった。前半に一度はクロースから、もう一度はアントニオ・ブランコからのクロスに頭で合わせ、三度目のチャンスでようやくモノにした。待ちわびたゴールが初ゴールとなり、「やっと決まったな!」といつも近くで戦っていたナチョが飛びついた。日頃はポーカーフェイスを貫くジダンからも笑みがこぼれ、喜び故の無駄な動きをカメラは捉えていた。

こうしてビックマッチを経験しながら着実に批判をかき消し、マドリディスタから信頼を得るミッションを遂行した。そして、ファンの不安要素はミリトン本人ではなく、(当時はまだ)決まらぬミリトンの相方へと移っていった。


相方

 今では欧州王者となったCBコンビも、用意周到な幕開けとは言えなかった。カゼミロをはじめとしたブラジル代表組はコパアメリカの関係で合流が遅れ、ミリトンは2つのプレシーズンマッチを見送った。そして、アラバ・ミリトンの強度を試す実践的な場を作れないままシーズン開幕を迎えることになった。

案の定、カルロはアラバ・ミリトンの新星コンビでトレンドを作ることを急がず、ナチョ・ミリトンの見慣れた二人を中央に置く開幕戦を好んだ。それは第2節でも変わらず、アラバ・ミリトンのお披露目は第3節ベティス戦となった。クロース、モドリッチがチームを離れていたもののカルバハルのボレーで試合を締めると、その後、カルロは離脱中のメンディが復帰するまでの数試合でミリトンのパートナーを巡ってローテーションをもたらした。そうは言っても、カルロの中でミリオンの相方はどこかしらアラバに決めているようにも見えたのだが。

こうして相方が決まる一方で、ミリトンはペペ、ヴァランのポジションをしっかり受け継いだ。それは背番号からヒシヒシと感じ取っていたのかもしれない。後継者は前任者が残していった伝説に埃が被らないようにするのも重大な役目のひとつ。それをミリトンはアラバと共に新体制一年目から成し遂げた。

MARCAからのインタビューで、ミリトンはアラバについてこう語った。

彼が到着して、すぐに関係性を築けた。ずっと前から一緒にプレーしていたような感覚だったよ。彼はチームのみんなに喜びをもたらしてくれたね。常にモチベーションが高く、試合中もエネルギーに満ち溢れている。これまで勝ってきたことを考えれば、自分たちが世界最高のペアだと思う。

二人は部下と上司のような関係でもありつつ、その距離感はとても近い。ラモスとヴァランが同時にチームを去り、凱旋したばかりのカルロはいきなりピンチを招くことになった。それでも、欧州5か国を渡り歩いた老将による見事なマネジメントのもと、ミリトンには更なる磨きがかかり、それはピカピカに光るビックイヤーに似合っていた。

そしてミリトン急成長真っ只中の2021年4月、スペイン紙は読者にこう問いかけていた。

「誰か、セルヒオラモスを覚えている人はいるか」

ミリトンはそれほどセンセーショナルだった。

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