副業マンセーにノセられてブログに精をだしたあの頃。二ヶ月間、連日アクセス数が3だったボクの黒歴史。
確定申告がおわった。
今年も安定感抜群の
“ギリギリのスベリ込みセーフ“だった。
ごく平凡な会社員として働いてきたボクは、確定申告とは縁がないと思っていたが、
株式の特定口座の配当金で引かれた税が一部戻ってくることを知り(配当金控除)、
その額がまあまあ無視できないくらいに大きなものになったために、約10年ほど前からあれだけ他人事と決め込んでいた確定申告との付き合いをはじめた。
◇
30代前半。
はじめて税務署を訪れたときの戦慄の光景を忘れられない。
税務署には多種多様な人がいた。
人を見た目で判断してはいけない。
ダメ、ゼッタイ。
が、ボクよりかは幾分かマシではあるものの、どこからどう見ても、うだつのあがらない、平凡かそれ未満の“ヨレヨレスーツを着た会社員“が大勢いたのである。
“会社員は副業禁止“が一般的の当時であったから、きっと休み時間にこっそりと本業を抜け出して、申請をしにきたのだろう。
さすがに知り合いを見かけることはなかった。
しかし、きっと確定申告とは無関係を決め込んでいるように見えたかつてのボクの同僚たちのうちの何人かは、
おそらくこうして申請にきていたはずだ。
そう確信させる光景が税務署にはあった。
一人一人が、
ペラペラのアルミ仕切り板で仕切られた台の前に立ってPCで申告書類を作成する。ブースには必要に応じてヘルプの職員が付いて、彼らの指示どおりに入力していく。
ボクのとなりでは、
小太りの男が、ヘルプの職員にブツブツ文句を言いながら作成していた。
おそらく要領が、悪い。
ボクは配当金控除だけであったので、
かなり後にきて用紙の作成を開始するが時間はかからない。結果として、ボクと小太り男が同時に申請書類の作成が完了して、次の申告コーナーの整理券をとりに向かう状況になった。
おそらく、ここにいる大勢が、
お互いに探偵のように正体を悟られないようにしていたにちがいない。
うつむきながら用を成す。
ボクと小太り。
整理券発行機を前にして、
しばらく二人の男が言葉もかわさず気をつかいあって、互いの位置どりを模索することに。気まずさと照れくささの混じりあった奇妙な空間がそこにできあがった。
狼狽えた。
あたふたした。
“あぁ、どうぞ”
美しく重なる2人の声。
なんなんだ、この無意味な偶然は。
モジモジしながら、ようやく顔を見合わせた。
見つめ合った。
あ、照れちゃうよ。
こういうの、
奇跡の浪費、運命の無駄遣いだよな、
って思う。
世界の運命の総量が一定だとすれば、このせいで結ばれなかったカップルとか出てくるのだ。
かわりに税務署で奇跡のように重なりあったボクらのヴォイス。
ごめんよ。
彼とはその後何もなかったよ。
15年くらい前、ブログで副業収入を得ていたことがあった
ボクの黒歴史。
何度もココに書いてきた。
さすがにしつこい。
でも書こう。
20代後半のころ。
有名になりたい、すごいことをやりたい、社会を動かしたい、という衝動だけは有り余っていて、でも実際が伴わず、
ただの社畜であった。
会社に寄生し、
ここに大勢いる同期との競争に勝って出世しなければ、ボクはナニモノにもなれない。
そんな現実を顧みて
“変わりたい”、“変えたい”意識だけは
異常に高かったあの頃。
そんなときに出会った
異業種交流会や自己啓発本。
「上位1%はブログで人生を変える」
「誰でも手軽にできるブログ資産」
「ブログ副業は、幸せになる投資」
元祖ブログ女王の眞鍋かをりの全盛期。あちらこちらでブログ熱が燃えたぎっていた。
そうか、ブログは人生を変えられるのか。
書きたいことを書いてウケれば嬉しい。
そのついでにお小遣いが貰えるならそりゃあ嬉しいに決まってる。
実際にこういったノウハウ本をだすような一握りの人たちは、ハンパかもしれないが食えていたりもするわけだ。
だったらボクだって発信を継続しさえすれば給料の足しにはできるにきまってる。
自己啓発本のコトバに見事に踊らされたオトコは、ザクザク増える“不労収入“に夢を膨らませながら意気揚々と
ブログをスタートさせたのだ。
◇
ブログ童貞を卒業し、
SNSのフタをコジ開けこの世界に飛び込んだ。
しかし数ヶ月間、仕事終わりから深夜まで、
連日書きつらねてみたものの、読者は一向に増えない。
時事ニュースを引用して
まるで大衆に語りかけるように、
自意識過剰な口調で意見を述べる“雑記“の王道を進んだつもりであったが、
アクセスカウンターは
安定の3人を淡々と連日刻み続ける。
試しにGoogleで自分の名前や
ブログのタイトルを検索してみても、全くヒットしなかったので、webからの流入は全くない。おそらくアクセスしているのは、
彼女、地元のツレ、
そして自分。
自分のブログのいちばんのマジメな訪問者は自分なのだ。この残酷な現実によって、
実質、2人。
2人しかみていないブログであった。
オレは一体なぜ毎日更新しているのか、
オレは一体なぜドヤ顔なのか、
オレは一体なぜ演説口調なのか、
誰にも聞かれてもいないのに持論をwebに載せまくる。何をどう考えても辺り一帯からは危ない匂いが立ちこめていた。
そこでついに我にかえった。
好き放題に更新するだけでなく、成功者に学び、人に見てもらうためのものを作りこもう。
そう決心し、
真剣にアクセス数が上がる方法を調べて実践した。
ネタ探し、文章作成、SEO対策、サイトのデザインや構築、定期的な記事のメンテナンス、アフィリエイト設定などやることはいくらでもあった。
それを約2年ものあいだ、
黙々とやってみたのだ。
同じ人に繰り返し訪問してもらえるように毎日それなりのコンテンツを発信し続け、文章力や構成、配置を磨きながら、
長期的な努力をコツコツと強いられ、
そうして、
やっと。
やっとのことで、
1000PV/日が達成するようになった。
それで、収入はおおよそ1~2万円/月。
時給なら数十円。
これが素人の努力の限界であった(当時)。
つまりボクくらいの努力じゃ、人脈は大きく広がるが金銭的には話にならない。
純粋にお金が欲しいのであれば、大部分の人はブログで稼ぐより、コンビニでアルバイトするか、投資する方がよほど儲かる。
しかしこれをやって利益を上げてる人の多くは特別な苦労は感じていない。
もちろん炎上とか中傷とかに悩まされることはあっても、その作業については好きだからやっている。
全部ひっくるめて楽しいのだ。
好きなことを副業でやる、それをカネに変えるというのはそういうことなんだ、
と悟った。
「副業ブーム」と言われた2020年初頭
いままでは、
“会社員は副業禁止“が一般的だった。
でも2018年、働き方改革の一環として厚生労働省が「副業推進」に方向転換したことで、いまは“副業のススメ“的な情報を目にする機会が増えてきた。
でも、副業しなきゃ生活できない状況にある人たちに必要なのは、副業のススメではなくて、“ふつうに働いて、ふつうに生活できる給料“と思う。
副業推進って、一見すると、
副業により自分の夢をかなえたり、人生の選択肢を増やせるようになると感じるけれども、
見方を変えれば、
“こんな給料じゃ生活できん!“
と経営者に不満を叩きつけれていた状況が一変し、
“低賃金とお金に不満があるなら、副業してもっと働けば?“
と自己責任論になってしまう。
その場合、副業は救いの手ではなく、
さらなる“労働地獄“への招待状になってしまうのだ。
うだつのあがらない平凡リーマンの持論ではあるが、副業レベルの稼働時間ではやっぱり大きく稼ぐのは難しい。
いろんな条件はあるにせよ、
“副業であと1000円稼ぐ“よりも、“生活のなかで、不要な1000円の支出を見直す“ほうが多くの人にとっては圧倒的に近道な気がする。
もちろん今はパソコンからe-tax
今回は、膨れ上がった配当収入と併せて、
長女の歯科矯正の治療費もあって計算上は、若手サラリーマン1ヶ月分の給料に相当する大金が戻ってくる。
申請しなければ、戻ってこなかったお金だ。
ボクにとっちゃあ、めっちゃ大きい。
それを税務署に行かずに、
パソコンとマイナンバーカードでちゃちゃっと済ませた。いまや文明の利器を活用すれば、もはや片手間でもできる。
よかった、楽になって。
でもな、
そんなことよりもな。
運命の無駄遣いがなくなったことが全人類にとって大きな功績と言えるのだ。
世界の運命の総量が一定だとすれば、
ボクが税務署に行って、
小太りと声が揃うことで消費する運命のせいで、
あと一本バスがちがっていたら出会えたはずの二人の運命が、とくに出会うこともなく、二人の人生が重なりあうこともなく、淡々とそのまま続いていく。
そんな残酷なことも
なくなったのさ。
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