【節約生活#522】質素と粗末は違う
趣味で節約生活をはじめてみた。
健康的で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦している。
類語は混同しがち
言葉が考え方や行動を制限すると信じている人がいる。日本語でも古来から言霊信仰があった。
言語学でもサピア=ウォーフ仮説というものがある。有名なところで言うと、言語によって色の数が異なる。そういう違いが個人の考え方にも影響を与えるというものである。
極端に走ると、アファメーションのような自分を洗脳するかのような手法になってしまうかもしれない。それでも、普段から他の人が嫌がるような発言をしない方がよい。そればかりだと本当に嫌な人になってしまう。
要は言葉には気をつけた方がよいということである。
類語のような似た言葉を混同して使うことがある。このときに意味が微妙に混ざってしまい、自分の考え方にも良くない影響を与えてしまうことがある。
質素と粗末は異なることをしっかりと理解したいために、今回まとめておく。
質素と粗末
インターネット上の辞書を眺めてみると次のようであった。
質素は(1)飾りがない、(2)ぜいたくでない、粗末は(1)品質が低い、(2)ないがしろにするという意味でよいのだろう。
質素のぜいたくでないことと、粗末の品質が低いというとおろが同一視される原因になのかもしれない。ただ、よくよく考えてみれば別の概念である。
質素と粗末はどちらがよいかと考えれば、質素を選択したくなる。
質素の飾りなく、ぜいたくでないという点では、シンプルライフ、ミニマリズム、丁寧な暮らしといった概念と親和性がある。おそらくは、シンプルライフ、ミニマリズム、丁寧な暮らしという考え方は質素に生きるストラテジーなのだろう。
持っているものを減らして、厳選されたものを大事にする手法は質素な生活そのものである。そして、品質を落としたり、ないがしろにしないため、粗末とは異なる。
粗末を嫌うのはなぜか
粗末な生活に対しては嫌悪の情がある。
理由を考えていくといくつかあげられた。
1代替することのあきらめ
品質を落として代替品を使うことに、本当は欲しかったのに・・・というあきらめがある。
見栄をはりたいのにはれないという心理的な面もある。
2自尊感情の低下
あきらめなどから派生している面も確かにある。ただ、粗末にするということは自分の生活もないがしろにするということである。これは自分の価値を自分で下げるように感じるバイアスが生まれやすい。
また、自分の心をケアしないと自身でみなしてしまう。これが、自分を大事だと思えなくなってしまうことにつながってしまう。
粗末は自身を雑に扱い、自分の人生や生活の価値を低めることになる。
質素と粗末は異なる。
違いを明確にして、自分が何を選んでいるのかを分けておかないと、暮らしが知らず知らずのうちに苦しいものになってしまう可能性がある。
今日は、自分の判断が質素側なのか粗末側なのか考える日にしたい。
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