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「言い訳」が芸術を作った

人は言い訳するとき小説家になる。遅刻したのは親族が突然死したせいだったり、おもわぬ事故に巻き込まれたり、電車が謎の遅延を繰り返したり。

実際に小説っぽい形をとることもある。古代ギリシアの名作『オデュッセイア』は言い訳で作られたという説を小説家の塩野七生が唱えている。

英雄オデュッセウスがトロイア戦争で遠征した後に、故郷に帰るまでに様々な化け物や苦難にあって10年以上も妻の元に帰れなかったという話だ。セイレーンという人魚にも誘惑されて殺されかけたという(冒頭の絵画)。

ところがこの英雄が行った場所は当時の観光地であり、遊女はいても化け物など存在してないのである。戦争に勝ってテンションが上がっているうえに、出張先で自由。どうも、家にまっすぐ帰りたくなかったようなのだ。

しかし20年も家をあけたので、それなりの言い訳が必要になる。そこで英雄オデュッセウスが嘘八百を並べた結果、名作『オデュッセイア』が誕生したのではないか…という話だ。

言い訳が人をクリエイティブにさせるのは、たぶん言い訳している状況というのは生命や信用の危機状況なので、「ご主人やばいで」という雰囲気を察した体と脳が、その言い訳作業をフルサポートしてくれるからではないか。

例えば締め切りギリギリにならないと出来ない、ってのは多いけど、あれも生命の危機を演じることで、火事場のバカ力を引き出そうとしているのかもしれない。

マンガでもなんでも創作物は、設定自体が「嘘」だ。その嘘をなんとか辻褄合わせようとして作る…なんだか言い訳しているような感覚になるときがあるけど、あんがいやっていることは近いのかもしれない。

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