映画「パラサイト」の感情報酬量の多さ、自然体からのノーモーションな演出について。

ありとあらゆる感情を体験できる映画「パラサイト」は、映画に求められる基準を上げてしまった感がある。ボクシングなどの専門格闘技を、総合格闘技が登場して圧倒した時代があったけど、似ている状況だと思う。

通常エンタメ、ゲームや物語はジャンル分けでき、ジャンルによって観客に提供する感情報酬が異なる。例えばホラー映画は、次の感情マップだと右下の恐怖や驚きを主に刺激している。

スクリーンショット 2020-02-18 7.44.51

※図はプルチックの感情の輪

なぜわざわざ怖がりにいくのか?または悲劇をみて泣きにいくのか?どんな感情を持っても、脳内ではそれを中和する脳内物質がでて、恐ければ安心し、悲しければ後で嬉しくなるので気持ちがよくストレス発散になる。

嬉しいのは少し前に悲しかったからであり、悲しいのは少し前に嬉しかったからだ。つまりどんな感情であろうと、揺り動かされればエンタメになる。感情のジェットコースターによる感情報酬がコンテンツの基本価値だ。

といいつつも個人的には怖がりなのでホラーが苦手だけど。

で、映画「パラサイト」の凄さはその感情の種類の多さと、それによる総量の大きさだ。感情マップで言えばすべて網羅している。どんな球でも打ち返すイチローばりのスイングだ。もはやなんのジャンルとは言えない。

スクリーンショット 2020-02-18 7.56.37

このノージャンルさについて、次のインタビューで明快に語られていた。

ポン)これはコメディか?ホラーか?という形で自作を振り返ることはあまりしません。そのせいで、マーケティングチームはいつも苦労しています。「監督、このジャンルは何ですか?」と聞かれるんです(笑)。

是枝)ポンさんの作品の魅力って、あらゆるジャンルがミックスされて入っていて、それが見事に融合していることだと思うんですけど。スタートの時点ではジャンルっていう意識は無いんですね。

ポン)はい、意識しないです。私たちの実生活でも様々な感情やジャンルが混ざりあっていますよね。恋人に会ってランチを食べれば恋愛ドラマのような午後になるし、雨降る夜に痴漢に追われれば突然スリラーになる。私はそれを実生活のタッチとして受け止めたいと思っています。

よく考えたら、今の我々はジャンルではコンテンツを選んでいない。SNS上ではさまざまな好みの人がいるので、タイムラインの中で「面白いか」「面白くないか」という反応によって見るかどうかを決めている。

ジャンルが必要だったのは、以前は検索方法が発達してなかったからだ。ネット初期はYahooのカテゴリ分けでサイトを探していたように、ジャンルやカテゴリはもうあまり通用しない方法なのだろう。

しかし習慣から、ジャンルに沿ったコンテンツ作りをついやってしまう。映画「パラサイト」がすごいのは、コメディかと思ったらホラーが出てくるというような、ジャンルがないゆえの予測のつかなさによるインパクトだ。

ホラーだと思って見ていれば、ある程度怖がらないように次の展開を予測しつつ見られる。次の展開を予測されてしまうのがジャンル分けの弱点だ。

格闘技でも下手な人は蹴りでも突きでも、予備動作があるので予測されてしまう。突きの場合は上半身が前傾しがちだし、蹴りの場合は反対に後傾しがちで、それによって攻撃を防がれてしまう。

しかし達人は自然体でまっすぐ立ったまま打ってくるので、突きなのか蹴りなのかまるで予測がつかず打たれ放題になる。予備動作がない、ノーモーションな攻撃だ。

映画「パラサイト」の感情は、ジャンルがないゆえに自然体からのノーモーションで放たれて観客を打ちのめす。

格闘技でボクシングなどの専門格闘技を、総合格闘技が登場して圧倒した時代があったけど、同じ感想を映画「パラサイト」で感じた理由。「私はどのジャンルに強い」とかのんきに言えない時代になってきたなあ、、、。

読んでくれてありがとう!