クラス委員長「なぜ中島くんは鈴木くんにカンチョウ(浣腸)したのですか?」中島くん「したかったから」委員長「え…。」

夏が近づくと毎年思い出すのは、中島くんカンチョウ事件だ。

あれは小学校6年の夏。中島くんが鈴木くんにカンチョウして泣かせる、という事件があった。カンチョウとは、相手の背後に忍び寄り、自らの両手のひとさし指を合わせて強化したうえでコウモンを狙って突き刺す、当時の小学校で流行っていた遊びだ。

特に中島くんのカンチョウは鋭く、狙いも正確で恐れられており、被害者が続出していた。私も一度やられたが、大人になった今でもその痛みを忘れることができないトラウマ級の威力だった。

その当時、クラスでは裁判のようなことが行われていた。今となっては担任の先生の意図は不明だが、クラス委員が裁判官となり、その週に起こった事件について、みんなが陪審員となって話し合うという時間があった。

そこで被告となったのがカンチョウ容疑者の中島くんである。鈴木くんを襲ったことは目撃者が多数おり、犯人であることは確定しているので、その動機が問題となった。そこで表題の会話となる。

クラス委員長「なぜ中島くんは鈴木くんにカンチョウしたのですか?」

中島くん「カンチョウしたかったから」

クラス委員長「え…。」

あまりに内面的な動機にみんなも静まりかえり、ただ夏のセミの声だけが教室に響いていた。せめて鈴木くんが憎いなら、和解にもっていくこともできるだろう。しかし中島くんはとにかくカンチョウがしたいのだ。本当にしたいことに、理由なんてないのである。

もしも動機が剛勇なカンチョウ使いになって人気者になりたい、というものなら、「そんな者は好かないので人気者になれない」と周囲が反対することもできる。

つまり動機が他人に依存している場合、そのモチベーションは弱いのだ。本当に強いのは、中島くんのように、名声も金も立場も関係なく、ただやりたいからやっているという、完全に自分がモチベーションを握っている場合だ。

林雄司さんが「記事がうけたかどうかをやたら気にする書き手を見てて不安になるのは、モチベーションの源泉を他人に握られているからだとさっき風呂で思った。」とつぶやいているのを見て、中島くんをあらためて思い出した。

私もバズる記事を求められ続け、結果に一喜一憂するときもあるが、そんな時は中島くんを思い出す。書きたいから書いているのだ、と。


余談だが画家のゴーギャンの人生をモデルにした小説『月と六ペンス』にも中島くんと似たセリフがある。

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