「いわんや悪人をや」悪人正機とスターウォーズ /スカイウォーカーの夜明けは似てる。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という親鸞の悪人正機は、自分を善人だと呑気におもってる人より、自分の中にも悪があることを認めている人の方がまともな人だ。アホな善人でも救われるのだから、賢い悪人が救われないわけがない。ざっくりいえばこんな意味だ。

スターウォーズの最新作では、主人公のレンがダークサイドに再三さそわれるのだがシス側の理屈としては悪人正機と同じで、自らの悪をみとめた方が正しく、その方がパワフルになると説く。

たとえば日本国内に生息するヤンキーはダークフォースの使い手だ。自らの悪性を自覚しているがゆえに生き生きとしていて自由だ。ヤンキーがモテるのは、彼らの方が優等生よりも強くて人間らしいことがままあるからだ。

ヤンキーを発展させたような、野生的なワイルドさを兼ね備えたダークヒーローは多い。デビルマンの悪魔の力のように、荒野の用心棒やダーティハリーをはじめ、社会的に良い方向に、悪の力を使っているヒーローだ。

社会的に悪い方向に使う悪い人だと最近の映画ではジョーカーがある。

一般的な人間は教育によって悪の力を封じられている。それは社会的には良いことだけど、個人としては力を制御されているということでもある。ヘルマンヘッセは次のように語る。

私が唯一愛している美徳は「わがまま」である。人類が考え出した数多くの美徳のすべてを、ただひとつの名前で総括することができよう。すなわち服従である。人間によって作られた法律への服従である。唯一わがままだけが、自分自身の中にある法律に、我と心に服従するのである。

美徳によって抑制された悪の力は、たまに表面にでてきていたずらする。

おとしい人が突然暴発して事件をおこす。誰でも悪という爆弾を抱えているので、日常的に小出しに爆発させておかないと火薬がたまって大爆発を起こす。物語の優れた悪人は、自分をより深く見つめて悪の力を活用している。

前述のわがままだって、悪徳とみなされやすいが、他人へのわがままは迷惑でも自分に対するわがまま、体調がわるければ会社を休めばいいし、楽しみたいと思ったことは楽しめばいいし、自分を大事にするって意味では問題ない。要は悪だとされていることを、どれだけ深く見つめるかだ。全部のわがままを封じられたらストレスが溜まってしまいパワーダウンする。

小説家の村上春樹は創作について次のように語っている。

人間は2階建てであり、1階、2階のほかに地下室があってそこに記憶の残骸がある。本当の物語はそこにはない。もっと深いところに地下2階があって、そこに本当の人間のドラマやストーリーがある。
僕は以前から地下一階の下にはわけのわからない世界が空間が広がっていると感じていました。多くの小説や音楽は地下一階を訪れて書かれているが、それでは人の心をつかまえるものは生まれない。何かを作りたいと思うのなら、地下のもっと奥まで行かなくてはいけない。僕は正気をたもちながら地下の奥深くへ降りていきたいと思っています。

地下の奥深くには地獄のような空間も広がっているかもしれない。人類の歴史を見れば戦争だらけで悪だらけなわけだから、人の心の深層をもっともつめていけば、何が出てくるかわかったものではない。

ダークサイドを平たくいえば、ライトサイドのような真面目な優等生と違い、無意識の領域を善悪わけずに最大限活用できるぜ!めっちゃパワフルやで!って感じかな。

ネタバレになるのでここからは見た人だけのために。



この善悪の彼岸を象徴していたのがライトセーバーで、ライトサイドは青、ダークサイドは赤に輝いていたセーバー2本をレンは地中深くに沈める。そしてレンがもつライトセーバーの色は黄金色になっていた。

ついにレンは善悪を超え、自分を統合したということだろう。ライトセーバーはその人の内面を映すので、青でも赤でもない、統合された色になった。

悪の力は悪の力だと思っているのが問題で、社会的に良いことに使えば問題ない。高田純次の「本当にいい人か悪い人かは関係ない。おごってくれる人がいい人」って言葉に通じる。この統合のプロセスについては次の本が詳しい。



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