武士道コンテンツ入門「クリエイティブとはスベることと見つけたり」

「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名なフレーズは誤解されやすいけど、コンテンツ制作に置き換えてみればその意味がわかりやすい。ためしに武士道の「葉隠」の序文をクリエイティブに置き換えて書いてみた。

クリエイティブとはスベることと見つけたり。

スベるつもりで臨めば、かえってスポンサー(御家)にとってよりよい判断ができる。こざかしい打算をすて、肚を決めて制作しろ。

ウケなければ犬死だ、などという考えは軟弱だ。決断を迫られる制作現場で、ウケるかスベるかなんて最初からわかるものか。

人間、誰でもスベるよりウケたいものだ。しかしスベると思って制作の手を抜くのは腰抜けだ。一方でウケれたのに手を抜いてスベるのは「犬死氣違い(原文どおり)」である。この判断は非常に難しいが、だからこそ日々精進し、スベる勇気を胸に生きることで、制作をまっとうできるだろう。

このように葉隠は「結果なんて究極はわからないからただ全力で挑め。全力であればスベっても恥にはならない」とまともなことをいってる。次のような順序でその行動を評価してる。

1. 全力で挑んでウケる
2. 全力で挑んでスベる
3. 手を抜いてウケる
4. 手を抜いてスベる

要は結果(become)じゃなくて状態(being)を大切にしなさいってこと。

最近、文芸賞などコンテストを狙っているクリエイターと話していて、「賞を目指すのもいいんだけど、いまならSNSでもなんでも発表手段はあるんだから、作品を小出しにして反応みてもいいんじゃないの?」と話すと、

「私は谷口さんと違う、バズりたいわけではなく、いい作品が作りたいだけだ」と反論された。わたしだっていい作品をつくりたく、バズはその手段にすぎないんだけど、作品を公表するのが恥ずかしんだろうな、と思った。

有名な賞には功罪がある。受賞すれば名誉になるし、受賞しなければ誰にも応募していたことを知られないので恥をかかなくていい。問題は、恥をかかずにうまくなる道なんてないということだ。

「恥をすて人にものとひ習ふべし これぞ上手の基なりける」利休

実は恥をかくのを恐れているのに、それを本人がわかっていない。非常にもったいない。スベって落ち込んでいるライターによく気休めで「話題にならなかった記事は誰も読んでないから気にするな」というんだけど、これは逆にいえば、自分から遠い人ほど、話題になった記事しか読んでないので面白い人と思われる。

身近な人からはいつもスベっている人と思われ、遠くの人からはいつもウケてる人と見られるのはクリエイターの宿命である。だからこそクリエイティブはスベる勇気が一番大切だと思う。しかしまあ、スベるのは嫌だね。

読んでくれてありがとう!